「おい、これはなんだ」
「ぁあ?」
朝稽古を終え、朝餉を取ろうと食事場へ訪れた斉藤は、出された膳にぴくりと柳眉をあげた。
隣に座る部下の隊士と見比べなくても明らかなこの差。
不満気に食事係の女へと視線を突きつければ、と呼ばれた女は不機嫌さを押し出した顔と声で振り返る。
その様子に些か驚くも、斉藤は膳を顎で示してみせた。
「この膳はなんだ」
今朝だされた献立は玄米に汁もの、三種の京漬け物に、が大好きという理由でよくだす豆煮。
金銭のやりくりに厳しい状況の新撰組。
食事もままらないが、が食事係として入ってからは質素ながらも、
味には定評があり、ほとんどの隊士が食事を楽しみにしている。斉藤もその中の一人だ。
しかし斉藤の前にある膳は
茶碗の中に玄米が一粒とお新香ひとかけらのみ。
「ふんっ見てのとおりだ斉藤」
腕を組み見据えてくるの手には包丁。にっこり笑っているものの、その目はまったく笑っていない。
斉藤もぴくと眉を顰めを睨み付ける。食事場の温度が明らかに下がり、
周りにいた隊士たちはそれぞれ箸や茶碗を持ったまま固まってしまっている。
新撰組の中でもは一番年下の16歳、対する斉藤は25歳。ましてや三番隊組長という位置に
いる目上の斉藤に喧嘩を売るとはなんとも無謀なことだろうか。
ふと、廊下からバタバタとこちらへ向かってくる慌ただしい足音がして、原田と永倉が顔を出した。
「!めしぃっ!」
「知るかぁっ!」
ガスっ
原田の声が響くなり、はきっと原田と永倉を睨みつけて手にしていた包丁を投げつけた。
包丁は原田の頬を掠め、廊下の柱にぶっすりと刺さっている。
シーンと静まる食事場。
原田と永倉は真っ白になりながらカタカタと震え出す。。
投げつけたままの体勢から、ゆらりと立ち上がるの背後には修羅が霞んで見えるようで。
は原田達を睨み、斉藤を見据えると懐から苦無を取り出し、怒気を含んだ声で小さく呟いた。
「斉藤ぉ、原田あ、永倉〜。貴様ら昨日の昼には夕餉はここで取るとかいいながら、
夕方どこに出かけた?ぁあ?」
凄まじい睨みに斉藤はがたりと立ち上がり、じりじりと原田達の横につく。
その表情は普段の斉藤からはほとんど見られない焦りの色が薄っすらと見え。
原田と永倉もびくぅっと肩を揺らすとハハハハと引きつり笑いをする。
「はい、貴様らどこに行ってやがりましたか?こら」
整った表情の満面の笑みはなんとも美しいものだが、
その美しい笑みとその顔から紡がれた言葉はさらに三人に冷や汗をかかせる。
永倉がカタカタと原田の袖を掴みながらに笑ってみせた。
「ぇえっと、しっ嶋原に・・」
の整った笑みがピクリとと引きつった。三人に冷たいものが一気に駆け抜ける。
「そお?この私が丹精こめて作ったご飯そっちの気で女遊び?へえ〜?
組長さん達ってな〜んていいご身分かしらv」
ゴゴゴと地響きが聞こえそうなの殺気に、食事を取っていた隊士たちはさっさと食べて逃亡している。
「斉藤っお前なんとかしろっ」
原田が焦ったように斉藤の背を押しやる、が、斉藤も負けじとと原田を睨みつけた。
「阿呆言うな、俺が止められるわけないだろうっ」
「米一粒も無駄に出来ないんだからっ!!いらないならちゃんと言えー!
この女たらしどもが〜!」
びっと苦無が放たれる。
斉藤は舌打ちをすると抜刀して苦無と叩き落とすが、次の瞬間、冷たい感触が斎藤の喉元に当たった。
苦無を投げた瞬間、一気に間合いをつめたが苦無を斉藤にあてがっていたのだ。
にっこりと笑うに斉藤もつられてひくりと笑う。
は食事係だが、ひとたび任務が入れば、忍装束に身を包む監察方。
彼女の操る苦無や体術は山崎をも唸らせるほどだ。
斉藤が口を開こうとした途端、一気に視界が揺らぎ、次の瞬間には背中に痛みが走り、天井を見つめていた。
うきゃーと逃げ出そうとする原田と永倉を当然見逃すわけがなく、さっと態勢を整えると、
原田に回し蹴りを食らわし、永倉に溝落ちをくらわす。
呻き声を上げ蹲る三人を見下ろすと、びっと食事場の洗い場を指差した。
「罰としてお前らっ膳洗い!しっかりみっちり洗えよ!」
青ざめる三人を食事にきた近藤と土方が大笑いして見ていた。
そんなさりげない日常の出来事、血が絶えなかった日々の中ではとても楽しいものだった。
やがて勃発した鳥羽伏見の戦を発端に新撰組は敗走の道を辿った。
鳥羽伏見の戦後、土方副長からが死んだと聞かされたとき、、この耳を疑った。
食事場に立つ活気のいい笑顔、任務に赴く時の冷徹な表情。
時折買出しに付き合えば、俺がよく食す蕎麦を食べようと手を引っ張り。
は隊士の憧れだった。
そんな俺もまたに惹かれていた一人だったか。
「こらあっ斉藤!!!蕎麦ばっかり食べてないで、たまには私のご飯も食べてよね!!」
そんな不貞腐れた時の表情でさえ、美しいものだった。
さーいとぉv
「っ・・・・空耳か・・」
街頭を歩いていた警官が不意に足を止めて振り返った。
料亭が並ぶ日が暮れた街並み。行き交う人の顔はどれも楽しそうで、
斉藤は思わず小さく息を吐き出した。
いるわけがない
あいつは死んだんだ
十年の歳月が流れているにも関わらず、斉藤はなぜかのことを片時も忘れることはなかった。
理由はわからない。だが、なぜかが今でもどこかで生きているような感じがして
ならないのだ。
会合で出される、また家政婦が作ったと言っては持って来る豆煮を見ては
を思い出し、の味を懐かしく思う。
街中で元気な娘を見ては、の笑顔を思い出し。
「重症だな」
そう、自嘲的な笑みを浮かべると踵を返し、足を進める。
しかし、次の瞬間耳に飛びこんだ声に斉藤は、ハッと目を見開いた。
「客だからって付け上がるんじゃないよ!!」
バッと振り返れば、一件の料亭の前で料亭の女将らしき女と、仲居の娘、
そして泥酔しているのであろう男が揉み合っていた。
女将の顔を見た瞬間、まるで体中に雷が落ちたようだった。
十年時が過ぎていても見間違えるはずがない。
は仲居を自分の背に隠すと、キッと泥酔している男を睨みつけていた。
察するに、男が仲居に手を出したのだろうか。
そういえば街中でもよく浪人どもに絡まれている女子供を助けていたか・・
斉藤はまだ自分が目にしている光景が信じられないまま、スッとそちらの方へ
足を踏み出した。
の後でオロオロしている若い仲居が、近づいてくる警官に気づき、
あっとした表情で女将の袖を握る。
「何度も言わせるんじゃないよ!!うちは料亭なんだっ色物じゃないんだよ!」
「いいじゃねえかよお〜!」
顔を真っ赤にさせた男がへと雪崩かかった瞬間、斉藤の中で
例えようのない怒りが生まれる。
はキッと男を睨みつけると、懐へと手を伸ばした。が−
「公衆の前で揉め事ですかね?」
ゆったりした声が頭上から響き、仲居はホッとしたように警官を見上げた。
「おまわりさん」と安堵の溜息を零す仲居に、はチッと一瞬舌打ちをすると、
素早く懐から手を離し、警官を見据えた。
「っ!!」
視線が合わさった瞬間、は目を見開き固まった。
そんなに営業用の笑みを深めると、スッと泥酔している
男へと屈みこんだ。
「なんなら、署の方でお話を伺いましょうか?」
「いいいいいやっ!何でもねえ!!邪魔したなっ」
男は一気に酔いが冷めたようで、がばりと起き上がるとそのまま一目散に
逃げ出していった。
その後ろ姿をはキッと睨みつける。
「一昨日きやがれってんだ!!!」
「おっ女将;」
仲居が警官を気にしつつ、の袖を引っ張る。
斉藤はいまだ営業用の笑顔を貼り付けながら、仲居と女将へ向き直った。
「お怪我等はされませんでしたか?」
「はいっ!ありがとうございます」
若い仲居が嬉しそうに頭を下げ、その仕草に会釈をするとへと視線を向ける。
そこにはいまだ驚きの表情で見上げてくる。
「さ・・・斉・・」
「お久しぶりです、さん」
の言葉を遮って、警官はにっこりとに微笑んだ。
「は?」
その笑みと優しげな声に一気には石化する。
ちょっとまてこら、こいつ斉藤だよな?足あるから生身の斉藤だよな?
の脳裏に新撰組での日々が一気に駆け抜ける。
が知る限りでの斉藤は眉間に皺、常に不機嫌顔で俺様思考な見下ろし笑い。
でもって言葉悪い。ついでに性格も。
あーでもたしか、密偵の時や必要なときはそんな笑みと口調でしたっけ?
いまだにピシリと固まっているに、仲居が不思議そうに警官とを交互に見つめた。
「あの・・もしかして女将お知り合いですか?」
答えないの変わりに、斉藤が一歩仲居へと踏み出した。
超温和かつっ優男な笑みを浮かべて−
「えぇ、まあそんなところですよ。私は警視庁の藤田五郎と申します。
以後お見知りおきを」
そうさらに微笑めば、仲居はポーッと顔を淡い朱に染めた。
斉藤はスッとに視線を戻しながら、仲居へと言葉を向ける。
「さんと少々お話をしたいのですが・・お店の方は・・・」
そう、心配そうにする斉藤に仲居はハッとして、手をパタパタさせると
まだしつこく固まっているの背を押しやった。
「いえっ!今お客さんはけたところですから!!ほらっ女将!!
藤田さんがお話あるって!!」
「うえ?・・あ、藤田?」
「はい、少し歩きませんか?」
にっこりと微笑んでくる斉藤、いや藤田には胡散臭そうに眺めると、
店を仲居に任せ、渋々と斉藤の後をついていった。
やがて二人は人気がほとんどない、川べりへと降り立ったつ。
「やはり生きていたか、」
「うわっ・・・いきなり戻ったよこの人っ」
振り返った瞬間、見慣れた琥珀の双眸がを射抜くさまに安堵感を覚えるも、
その変わり身の速さには「うわあ・・」と声をあげた。
「斉藤も生きてたんだね・・・。まさか警官になっているなんてね。
あっ!まさかその鳥肌立つ優男で通してるじゃないでしょうね!斉藤っ
あ、今は藤田だっけ?」
斉藤の身を包んでいる制服をしげしげと見やり、「密偵が主な仕事だ」と告げる斉藤に、
なんとなく納得する。
ふと帯刀している日本刀には小さく首を傾げた。
「あれ?サーベルじゃないの?」
「あぁ、サーベルは脆くて使い物にならん、やはり刀は日本刀に限る」
「はは・・斉、藤田らしいや」
「斉藤でかまわん」
「へ?」
慌てて言い直すに、斉藤の深い声が降り注ぎは素っ頓狂な声をあげた。
見上げれば真っ直ぐな琥珀の双眸と視線が重なり、魅入られてしまったように逸らすことができない。
ついっと白手袋で覆われた手が、の頬を撫でた。
仄かに煙草の匂いが鼻腔を擽る。思わず身を引こうとするを押しとどめるように
斉藤は口を開いた。
「副長からお前が死んだと聞かされた」
「死んだ?・・・・・あ。うん・・。私も死ぬさだめと悟ってた」
微かにの瞳が揺れ、斉藤は怪訝そうにの顔を覗きこんだ。
そんな斉藤を避けるように、視線を外すとふわりと川べりにしゃがみこむ。
「鳥羽伏見の最中にね、副長から重要な文を預かって、関東に向かわされたんだ。
目的は聞かされなかった。ただ急ぎの重要な任務だから、その文は関東に着いたら読めって。
他人に渡るようなことがあってはならない、例えそれが新撰組の者だろうとって。
私、それが戦を変える役割を担っているものだって思った。
文を読めばやるべきことがわかるからって、半ば追い立てられるように私は
戦場を後にしたんだ。
そうか・・・私、死んだことにされちゃってたんだ・・」
ツイッと手で水面を掻き回しながら、は儚げに微笑んだ。
月の光で、水面に映った斉藤がを見下ろしている。
その目がとても切なくて、はきゅうっと唇を噛み締めた。
「重要な任務?」
「そ。喉が渇いていることも夜ということも忘れて、私は関東まで走ったの。
で、関東に着いて文を読んだわ。そしたらなんて書いてあったと思う?」
無言の返答があたりをより一層に静寂に導く。
「局長と副長の血判がついた脱退命令書」
ぽつりと呟かれた言葉だが、その言葉に悔しさがこもっているのが
斉藤にはよくわかった。俯いて表情は伺えないが、その言葉は微かに震えている。
「女ということと、ほら、私隊内で一番年下だったでしょ?それでね、
これからは女として生きろって」
「そうか。それで、あそこの料亭の女将か」
「うん。局長の馴染みの人がいてね紹介文も入っていたんだ。
引き返すべからず、紹介を拒むべからず。これが私に課せられた最後の
局中法度だったの」
そうスクッと立ち上がると、真剣な表情で斉藤を見つめた。
スッと懐から苦無を取り出す様に、怪訝そうに眉を潜める。
「何をする気だ」
「でも、局長と副長がそうしたからといっても私は局中法度に背いた。
隊を脱することを禁ずる。法度を破れば切腹。
斉藤、いつもで覚悟はできていたの。でも、一つ譲れないものがあった」
一瞬言葉に詰まるに、斉藤はただ静かに見つめるだけ。
はクッと顔を上げると、斉藤へと苦無を掲げる。
「私を斬っていいのは、同じ新撰組の人間じゃなきゃ駄目。
だからお願い、斉藤。あんたの手で私の首を刎ねて」
一紡ぎの風がと斉藤の間を吹き抜けていく。
斉藤は静かに息を吐き出すと、を見据えた。
琥珀の双眸に三番隊組長の威厳がありありと伺える。
しかし、斉藤は鼻で小さく笑うと胸元から煙草を取り出した。
「阿呆」
「・・・・は?」
ふーっと、ゆっくり煙を吐き出す様をは呆気に取られたように見つめた。
苦無を持ってわたわたしている様に小さく笑うと、その手から苦無を
ひったくる。
「俺がお前を見つけたのは、本当に偶然だ。今更お前を斬ろうなんざ
端から思っちゃいない」
「うえ?嘘っ、本当に偶然?!」
「なんだその蔑んだ目は」
信じられないといった表情で見上げてくるに、斉藤はやや睨みつけるように
見据える。
「だっ・・だって!、斉藤、新撰組内で一番の密偵だったじゃん・・・・
なんかこう絶対、探ってました!みたいな感じだったもん」
むうっと頬を膨らませるその様は、昔と何一つ変わっていない。
斉藤は喉の奥で笑うと、ポンとの頭に手を乗せて力任せに掻き撫ぜた。
「くあ〜やめろ〜髪がくしゃくしゃになる〜!!」と抗議を訴えるを
無視してそのまま抱き寄せれば、ぴくりとの動きが止まった。
「斉藤?」
「俺にお前が斬れるか阿呆が」
「み?」
もそもそと腕の中で動くに、「じっとしていられないか」と睨みつけるが、
はぽけっとした表情でじっと斉藤を見上げている。
紡がれた言葉の真意が知りたそうな表情に、柄にもなく視線を迷わせた。
「それに」と少し急ぐように言葉を紡ぐ。
「局長と副長はお前に女将という役目をつけた。
そんなお前を斬ったら、俺が二人に斬られるだろうが。」
じわりと視界が揺らぐような気がして、は必死に目を凝らして
斉藤を見つめた。しかしその視界は鮮明になるどころか、ますます揺らいでいくばかりで、
たまらず俯いて咽喉をしゃくり上げる。
「今の私が局長と副長が与えた・・・最後の任務?」
「俺はそうとるな。それに−」
月光が一段と輝いて見えるようだった。
重なった斉藤の向こう側には大きな満月が白く煌いていて、それがまるで
今は亡き近藤局長と土方副長の笑みのようにも思えて。
サーッと駆け抜ける風がおさまる頃、名残り惜しそうに斉藤はの
口唇から静かに離れる。
耳元に囁かれた低くも心地よい響きに、は長い間戒めから冷めたように
一滴の涙を流した。
「戻るぞ、ここは冷える」
そう手を差し出せば、こくりと頷き差し伸べられた大きな手にそっと
手を重ねた。
「斉藤」
「なんだ」
「何か食べたいもの・・ある?」
街の明かりがちらちらと見え始める。
まるで止まった時が動き出したかのように
賑わいが戻る空間。
斉藤は振り返らないまま、の手を握る力を少しだけ強めた。
「お前が作った豆煮を食わせろ」
「うわ・・命令かよ」
「五月蝿い。今までの10年分は食わせろよ」
微かに斉藤が笑ったような気がした。
皮肉を込めたものでも、人を見下した笑いでもない
穏やかな笑みをは、一瞬見たような気がした。
けれどその笑みがは妙に長く感じられ、そっと斉藤の手を握り返した。
白くまあるい月が、いつまでも二人を見守っていた。
すいません。有無を言わさずまず謝ります!
自分最初はギャグ書いてたはずでした!!でも無理でした!!
10年の月日を短編にするのがそもそもの間違いでした!
いやでも、いいです自分かいてて楽しかったから!(殴)
斉藤さんが斉藤一じゃないですよ;ママン!