「おーい剣心〜、薫が豆腐買ってこいだってよー!
・・・・・・・おい剣心!」
「っあ・・すまないでござる」
+得失〜得て失いしもの〜+
緋村剣心は先ほど届いた文に眉間に皺を寄せるも、弥彦の声にゆっくりと顔をあげ、
不自然に見えぬように文を懐へとしまった。
自分の元へ歩み寄り、再度を豆腐買ってきてほしいと口を開く少年に、申し訳なさげに頭をかき。
急ぎの所用ができた、帰りは遅くなるから戸締まりはしっかりするようにと反論する隙を与えず門へと足を向ける。
ぽかんとした弥彦の顔が妙に滑稽に見え。
門を出てからすぐ弥彦が「俺が行くのかよっ」と憤慨する声が上がったがその声はすでに剣心の耳には入っていなかった。
先日、微かな引っかかりが現実となって現れた惨劇。
左之助が道場で何者かに襲われ、重傷を負った。
医者の恵が居合わせたためなんとか一命はとりとめたものの、道場に放置されたままの薬箱、
折れた刀の切っ先、そしてまるで大砲を打ち込んだような壁の大穴に剣心は心臓を鷲掴みにされたように、体がぞわりと粟立つのを覚えた。
過去はけっして己を許さないのか、今まで闘った者達とは違い、一筋縄ではいかぬだろう相手。
刀を握る力を込めたその時だ。
異様な殺気を放つ気配を感じとったのは
奴か
そう双眸を険しくするも、すぐさまその答えを否定し道場の外へと飛び出す。
この禍々しい気配は人とのものと呼ぶにはあまりにも程遠いもので、どちらかといえば獣の類いにあたいする気配。
そしてこの気配は己に向けられているものでもなく。
しかし、押し潰すかのような殺気が辺り一面に漂っているこの感覚に剣心は意を決して門の外に出て、
殺気が漂ってくる方へと駆け出した。
この季節となれば、蟋蟀などの虫の音が響くのに今夜はそれがない。
近くを流れる小川さえもせせらぎを極力抑えているように思え。
虫達や自然を押さえつけてしまうほどの殺気が流れてくる方へとひたすら駆け出す。
ふと小さな林の中に一体の獣を見いだした。
いや獣だなんてそんなかわいらしいものではない。
二丈はあるだろうそれは熊だった。
だがたどり着いたその答えにも剣心はすぐさま否定する。
あれは熊ではない、熊なら軽々と木々を飛び移ることなどできないし、
その背中から突起している岩のような背鰭、筋で覆われた太い腕の先端から伸びた銀色の長い爪。
そして爛々と光る目は6つもあり、およそ熊とは呼べないものだ。だが、
俺はこれを知っている
幕末の京都で、漆黒に彩られた夜に同じ形ではないが、これに酷似しているものを斬り伏せたことがある。
対峙したことがあるからわかるこの空気。
キメラ
駆ける速度を早めると、スラリと刀を抜く。
しかしその瞬間、一つの小さな影がキメラに飛びかかっていった。人だ。
キラリと輝くものが見え、それが刀であると認識すると同時にキメラの咆哮が響き渡る。
その咆哮はまるで聞くものを絞め殺すかのようにピリピリと鼓膜を振動させ、
剣心は思わず耳を塞ぎながらもしっかりとその目はキメラを捉えた。
キメラは砂のようにサアッと風に崩れ去り、そこには斬り伏せたのだろう人が立っていた。
しかし次の瞬間、ドサッと緩慢な動きで人が倒れ、ハッとして駆け寄る。
「しっかりするでござる!・・っつ・・お主は・・」
倒れた人へと駆け寄り膝まづき顔を見とめた瞬間、剣心は僅かに目を見開いた。
「わっv私と勉、緋村さんと同い年だね!」
脳裏にあの日の光景が鮮明に蘇る。
たった数日という短い間の出会いそして新撰組との協力。
そんなことなどできると思っていなかった。
そう、十数年という長い歳月を経て再会したこの腕の中で気を失っている彼女がいたから敵同士手をとりあえた。
思いがけない再会に、昔を懐かしむもすぐさまかぶりを振り、背中へと背負うと足早に神谷道場へと踵を返した。
灰まみれの女を背負って帰ってきた剣心に、薫達は一瞬言葉を失うも、
ダランと垂れた左腕の袖から血が滴っているのを見とめ、慌てて部屋の用意をする。
左之助の手当てで皆疲れているはずなのにとそう一人ごちまた感謝をしながら、
そっと彼女ーの顔を覗きこんだ。
あれから互いに大人になり、整った顔立ちは目を覚ましたらさぞかしきれいだろう。
着替えをさせるからと、あとは薫と恵にまかせて剣心は再び道場へと足を向けた。
がいるのはやはり斉藤絡みなのだろうか。
目を覚ましたら聞いてみよう。
だが、翌朝意識を取り戻したに剣心は酷く衝撃を受けたのだった。
その時のの表情を脳裏に浮かべながら、小さく呟く。
「斉藤、お主は殿を見つけたらどうする」
「おーい、腹減ってないかー」
竹刀の素振りを終えた弥彦は水を浴びようと手拭いを手に井戸へと向かっていたが、
通りがかった部屋が昨晩剣心が背負ってきた女を寝かしている部屋だと思い出して、障子越しに話かけた。
たしか早朝に意識を取り戻したが何も食べてなかったはず、もしかしたら腹を空かしてるかもしれないと思ったのだ。
しかし返事はなく弥彦は息を一つつくと障子に手をかけた。
「おーい、開けるぞー?」
静かに開き覗きこめば、灰まみれだった体をすっかりときれいにされたが、穏やかな表情で寝ていた。
規則正しい寝息に思わず目が離せなくなる。
「あ、こら弥彦っ」
部屋を覗きこんでると、薫がやってきてペチンと頭を叩いた。
小声とということは薫もが寝ているの知っているらしい。
叩かれたことにちょっとむくれながらも、そっと障子を閉じる。
「腹減ってないかって思ったんだよ」
「そう・・。私もさっき気になってきたんだけど、寝ていたから・・
恵さんによると相当体力消耗しているみたしだし、疲れてるのかしら」
「ふうん・・さんっつったけ?剣心とどんな知り合いなんだろ」
「そうね・・でもさんのあの状況じゃ・・」
「うんー剣心も相当驚いてたもんな、恵はそのことに関してなんて言ってんだ?」
「なんとも言えないみたい・・まあでもしばらくは・・」
ここで療養してもらいましょう。
そう続けようとするも、門から人の気配がして出かかった言葉を飲み込んだ。
弥彦とともに門へと赴けば、そこには長身痩躯の警官が視線を正して立っていて。
聞けば、なにやら剣心を狙う輩がいるので署長の命令で来たとのこと。
剣心に会いたいという言葉に、薫と弥彦は顔を見合わせた。
「すいません、せっかく来てくださったのに剣心出かけてて・・」
藤田と名乗る警官を道場へと案内しながら、薫は申し訳なさそうに口を開いた。
そんな薫に藤田は「いえいえ」とにこやかに笑う。
「怪我人が二人寝ていますので、道場の方で待っていただいてもよろしいですか?」
「はぁ、かまいません」
おっとりとした口調の藤田に、薫は少しほっと息をつくと、道場の戸を開き藤田を
招き入れた。
一方の藤田・・・いや斉藤は、薫の言葉に曖昧に相槌を打つも、内心では若干眉を潜めていた。
先日、自分が痛めつけた相楽左之助。怪我人がいるとなれば、間違いなくその男だろう。
だがもう一人いるとなると・・と斉藤はサッと神谷道場に出入りする人物を思い浮かべる。
しかし、これといった人物に思い当たらず、もしかしたらただの行きずりかと結論を決め、
来る待ち望んだ闘いに僅かに口角を上げた。
それからどのくらい時が過ぎたのだろうか。
藤田と名乗る警官が道場に入ってから一時(いっとき)は悠に過ぎた頃。
道場に隣接している母屋の一室で、は小さく呻き声をあげて目を覚ました。
ボーっと定まらぬ焦点で天井を眺める、まだズキズキと肩は痛むが今朝よりは幾分調子が良い。
だが・・・・
「五月蝿い・・・・・」
遠くの方で刀と刀が交わる音が聞こえる。
そして互いに抑えることのない研ぎ澄まされた殺気に、は眉間に皺を寄せた。
「誰かっ誰かあの二人を止めて!!!」
「だめだっ・・俺達の声なんて届きやしねえ・・あいつらは幕末の・・幕末の
京都にいるんだ・・・俺達じゃあ・・・」
止められるのは・・・同じ幕末を生きた奴だけ・・
至るところに損傷を受けた道場に、二人の男が対峙する。
その目は目の前の獲物を仕留めるだけに己は存在すると確信した獣のような目。
もはや相手を殺すことに念を置いている斉藤と剣心に、薫たちの声は届かない。
「これで最期だ」
と再び踏み出す斉藤と剣心に、薫の無情な叫び声が道場に響いた。
シュンッ
息を飲む左之助の横を空気が切り裂かれるような音が掠めた。
え?と振り向くよりも早く、目の前の光景に目を見開く。
良くて相打ち、下手したらどちらかが死ぬだろうと予測していた結末に
想像もしなかった結末が現れていた。
斉藤と剣心は寸前のところでその動きを止めていたのだ。
良く見れば振り上げた斉藤の腕には木片を先端に巻きつけた縄が巻きつき、
剣心の持っていた鞘には数本の苦無が刺さっていた。
と、背後に人の気配を感じ取った左之助はぎこちない動きで振り返る。
そこには見知らぬ女が、肩で息をして立っていた。
「誰だお前」と口開く前に自分を支えていた恵が、ハッとしたように声を上げる。
「あなたっ・・おとなしくしてなきゃ・・「五月蝿い・・」・・え?」
まだ本調子ではないのだろう足取りだが、それでもちゃんとした足取りでつかつかと
道場へと踏み入れるを呆然と薫が見上げる。
剣心も些か驚いたように目を見開いていていた。
「・・・殿・・・」
「・・」
そしてここにも驚愕の色を隠せない男がもう一人。
斉藤は腕に巻きついた縄のことなどすっかり忘れて、道場へと入ってきた人物に
目を瞠った。
忘れられなかったいや、どうして忘れることができる。十数年の時を経て表れたその姿は
誰もが息を呑む美しさで、キッとこちらを睨むその姿さえも美しい。
「ものすっごい五月蝿い。人がせっかく気持ち良く寝てたのに・・殺気出しまくって・・傷に触るんですけど」
「!!」
「むにゃぁっ!!」
「少し抑えてくれない?」そう続けようとした言葉は発せらることはなかった。
縄を投げた長身の男が、へと駆け寄り抱きしめてきたからだ。
急に抱き締められたためによろけて床にへたれ込んでしまうが、一向に男は離れようとしない。
「っ・・どんだけ探したと思って・・」
「ちょっ・・・な・・何ですか貴方は・・ちょ・・は・・はなしっ・・」
ぐいぐいと斉藤を押しやるに、斉藤は眉を潜めて顔を覗きこんだ。
「?お前・・」
「斉藤」
静かな口調が背中に響き、肩越しに振り返ればいまだ殺気が拭えない表情で剣心が
斉藤を捉えていた。
「殿は・・・・・・・・・記憶を失くしている」
ハッとの顔を覗き込めば、きょとんとしたあどけない表情が
斉藤を見上げていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっとのやっとの更新。
そして王道な記憶喪失。でもあんまり物々しくない感じ?
これからは溜め込まずに短くてもポンポン書きたいです・・けど
次の大久保さんをどう書こうか悩み中・・
だって・・史実の人って本当に難しいんだもん。
(いや、じゃあ新撰組は?斉藤さんは?)
07年7月27日執筆。