、酒持ってこい」


「だめです。今のこの状況わきまえてください高杉さん」


「んだと・・」
















+償い+




















緊迫した室内にさらにピリリとした空気が張り詰め、
同席していた武市と来島、そして河上は僅かばかりにだが冷や汗をかいた。
先日企てた幕吏の襲撃。
だがどこから情報が漏れたのか、酒に溺れ刀を持たない腑抜けばかりがいるはずの屋形船には、
刀を構えた黒い集団−真選組が待ちかまえていた。
乱闘の末、鬼兵隊の下っ端の大半が斬られ捕縛され、
この日珍しく襲撃現場の指揮を取っていた高杉はの機転により無事その場から離れることができた。





−お手柄真選組!鬼兵隊より幕府重役を守る!−


−真選組の前では鬼兵隊もただのウサギか−



翌日にはそんな見出しの新聞やニュースが世間を賑わし、
志士達からは「これだから後先考えぬ暴れ牛は」と嘲笑され、高杉の怒りは絶頂に達していた。
そして今のこの会議でもいまだ高杉の腹は収まっておらず、なかなか好機が掴めぬことにさらに腹が立ち。
気を紛らわそうと部屋の隅に控えている小姓へと命令すれば、逆に注意され。
部下にまで否定されさすがの高杉も・・いやむしろここまで押しとどまっていたのが奇跡と言えるだろう。
感情直下型のこの男が今まで一つも声を荒げなかったのだ、これは賞賛すべきことではなかろうか。
しかしその記録更新はここで潰えたようである。


!小姓が主に逆らうのかよ」

「逆らってなどいません。この状況で高杉さんがお酒を飲めば武市さん達に迷惑がかかると言っているのです」

「何?俺が酒呑んで暴れるって言いてぇみたいじゃねえか」

「本当のことでしょう」


トゲトゲしい物言いの高杉に対して、部屋の隅にピンと背筋を伸ばし鎮座して淡々と答える
涼しい顔の小姓に高杉はさらに苛立ちが募る。
高杉は矛先を変えるように武市を睨みつけた。



「っの・・!おい武市!俺ァ酒呑んで暴れたか?!」


突然話を振られ、ずずいと凄まじい形相で睨まれた武市はびくりとと肩を揺らすと、顔を引きつらせながら身を後ろに引く。
「どうなんだよ!」と身を引いた分、さらに身を乗り出してくる高杉に「はい、その通りです」なんて言えるはずがなく。
言ったら最期、高杉の腰から鈍い光ともに刀が抜かれのは必須。
この男、機嫌が良い時の酒はいいのだか、機嫌が悪い時の酒は大惨事になるのだ。
紅桜が塵になった時、響の目を盗んで怒りまかせに呑み続け暴れまわったことがある。
その時止めに入った武市は顔や腹を殴られ蹴られる被害を被った。
刀でなかったのが唯一の救いだったと思う。そして酔いが冷めたら暴れた記憶が一切ないという達の悪さ。
答えられない武市に高杉の苛立ちはさらに募るだけで、は小さく息をついた。

「とにかく、高杉さんが怒りまかせに酒を飲むと後々に響くんですから自重してくださいよ。
ねえ?また子さん河上さん」


突然話を振られびくりと来島と河上の肩が揺れた。
高杉の鋭い隻眼に睨まれ、肯定とも否定とも言えぬ引きつり笑いでやり過ごそうとするが
それはかえって火に油だったらしい。
高杉は舌打ちを一つすると怒り任せに襖を開けて出ていった。




「もう・・相変わらずだな高杉さんは」



ほっと胸を撫で下ろす武市達にののんびりとした言葉が漏れる。



「って!私達に話を振るなっス!
晋助様に対抗できるのはくらいなんだから!」


「全くでござる。拙者寿命が三年は縮んだでござるよ」


一気に脱力する来島には「ははっ」と苦笑いをして謝った。


「でもまた子さん達もガツンと言うべきですよ。
最近の高杉さんは少し横暴すぎる」


「「「ムリムリムリ!」」」


「ははっ・・・さて、高杉さんの様子を見てきます。また調度品を壊されたらたまりませんから」


そうちょこんと武市達に頭を下げると、音を立てずに部屋から出ていった。
パタンと静かに閉じられた襖を呆然と眺めながら来島は人知れず安堵のため息を吐き出す。



「晋助様もだけど、時々も怖いっス・・なんというか・・」


「静なる怒り・・でござるか」


「そう!!そうっス!」


河上の呟きに来島は盛大に頷いた。
そして喉を潤すようにこくりと茶を啜ると思い出したように首を傾げる。


「前から思っていたんスけど、ってあんだけ強いのになんで小姓なんだろ・・
いくら晋助様のお付きとはいえ、小姓にはもったいないスよ」



来島が鬼兵隊に入った時、常に高杉の後について行動する少年がいた。
高杉に茶を運んだり密輸した武器の手配をしたりと、
「ああきっとこの少年は戦力にならない分、影で高杉を支えているのだろう」と来島は思った。
だがその考えはあっという間に崩される。
対立している志士達と衝突した折、は刀を両手に構えて先陣をきったのである。
は二刀流の使い手だった。
その刀さばき、軽々とした身のこなしは来島を魅了した。
そしてそれ以外にもは密偵として時折高杉の元を離れては必ず貴重な情報を持ち帰り。
なるほど高杉が常に傍に置くのも頷ける。
だが密偵や戦闘以外はただの小姓を務めてる
しかも今回のように、俺様思考な高杉のご機嫌取りや身の世話がほとんどで、嫌にならないだろうかと思わずにはいられなかった。
それは河上も思っていたらしく、来島の呟きに深く頷く。


「拙者もそれは思っていたでござる。茶汲みばかりでは腕も鈍るだろうに」



二人の視線は自然と武市に向けられた。
武市は来島・河上が鬼兵隊に来る前からいる。
何か知っているのではないか。武市は小さく息をついた。


「なんでもさんは、攘夷戦争時から高杉さんの小姓だったらしいですよ。
一番古い鬼兵隊隊士というわけですね。あの戦場を、前鬼兵隊が粛清にあった時も、高杉さんの左目が失われた時も
彼は常に高杉さんの傍にいたのでしょう」



そう一人ごちながら武市はいつだかと話したことを思い返していた。










さんはなぜ高杉さんの傍に?」


「いきなり核心を突くんですね、武市さんは」




そう笑うには憂いのようなものが見え隠れしていた。





「力になりたい、役に立ちたい・・最初はそんな気持ちでいっぱいだったけど今は・・」










なんだろうか・・








そう自問する横顔には様々な思いが込められているようで、武市はそれ以上聞くことができなかった。




















「高杉さん、失礼しますよ」


高杉の部屋の前に来るとはさっとしゃがんで声をかけてからゆっくりと襖を開いた。
殺風景な部屋の真ん中には布団が敷かれ、その上に片膝立てに腕枕をし天井を見つめている高杉が寝転がっていった。
静かに部屋に入ってきたを目線だけで捕らえると、何事もなかったように再び天井を見やる。



・・・。お前はどうみる」


「さきほどの武市さんの戦法ですか?」


高杉の苛立ちで中断してしまった先ほどの会議を内容を思い返して、は「んー」と
小さく唸って黙り込んだ。
小姓として会議の場に居合わせるものの、は常に部屋の隅に控えていて議論に加わることは一切ない。
だが、議論する能力がないというわけでもない。
が口開くのを辛抱強く待ちながらも、高杉は身を起こし胡坐をかくと懐から煙管を取り出し火をつける。


「武市の布石は核をついているがどうも型どおりすぎる」


「たしかに。彼は結果にこだわりすぎていて、それまでに至る工程を見落としがちですね。
この間のように情報が漏れてしまったのも、注意を怠ったからでしょう。
まあ春雨という大きな組織まで動かしのですから、あれだけで済んだのは良い方だと。
今回の件ですが、私はまず幕府に加担している諸国の軍艦から攻め落とすのが得策かと」


「そうか・・・」


の言葉に深く頷いて、紫煙を吐き出す。
コンッと小気味の良い音を立て灰を捨てるとへと向き直りちょいちょいと手招きする。
音を立てずに布団の前で腰を下ろすの腕を掴んで引き寄せれば、重力に従い胸に雪崩れ込んできて。



「さて、ぬかみそくせぇ話はこれで終わりとしようや、なあ?


「・・・・お酒はダメですからね」


「っとにおめぇはつまらねぇ奴だな、いいだろうがよ持って来いや」


「だめです。高杉さん今日は朝から飲んでたんだよ?血液までアルコールになっちゃいますよ?
だから私が代わりに飲んであげます」


そういって取り出したのは、高杉が愛用している瓢箪。
にっこりと高杉に見せ付けるように、ポンッと蓋をはずして飲む姿に高杉の顔が僅かに引き攣った。


「んの・・意地が悪りぃな!!」


声を荒げるがその顔には笑みが浮かんでいて、を抱え込むとそのまま押し倒しその上へと
馬乗りになる。ニヤリと不敵な笑みを浮かべる高杉に対して、はムッとした表情で睨み上げるが
そんなことを気にせず高杉はゆっくりとに顔を近づけた。



「・・・んだ、まだサラシ巻いてたのか。さっさととっちまえよ」


「できませんよ・・・。だって私は・・」


「なぁ、もういいじゃねぇか。さっさと女に「いやです!!」


ぴしゃりと高杉の言葉を遮ると、は素早く身を起こした。
じっと見つめてくる高杉の視線が息苦しくて、ギュッと膝の上で握った拳を見つめる。


高杉晋助の小姓は女だ。本名は という。
論議には参加せずただ静かに傍聴し、高杉から命令が下ればどんな危険な場所にでも赴き
必ず高杉を満足する結果を出して戻ってくる。だが、高杉以外の鬼兵隊の面々には女であることを頑なに隠す。
それがと名乗る高杉の小姓であった。

微かに震える肩に高杉は小さく息をついた。
高杉は知っている。
なぜ女であることを隠しているのか、個性豊かな鬼兵隊の中で常に静寂を保っているのか。
けれどもその理由を知っているからこそ、高杉はを女に戻したかった。


はあの日から女になることを拒んだ。
そう、高杉の左目から光が失われた時から。




















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







何もかもが赤く染まっていた。
空も大地も近くを流れる川も。そして、己自身も。
一体の天人を斬り伏せると高杉は息一つついて辺りを見渡した。
血臭とただの肉塊となったそれから漂う腐敗臭に思わず眉を顰めるが、その視線は鋭く周囲に向けられる。
多くの仲間がやられたようだ。


「あんの阿呆がっ、離れてんじゃねーよ」


苦々しく呟かれると同時に頭を過ぎるのは常に傍らにいる自分の小姓。
戦の時も決して傍から離れるなとあれほど念を押していたにも関わらず、高杉の周りには
立っているもの誰一人としていなかった。
途端、小姓の無残な姿が脳裏を駆け抜け思わず走り出す。


!!どこだ返事しろ!!」


倒れ朽ち果てた肉塊には目もくれず、ひたすら立っている人物を探す。
がやられたなど体全体で拒否しているように。



!!」


「あーもうっ!!ここですって!!」


焦りが頂点に達し、呼ぶ声が怒鳴り声へと変わったその時、
背後で弱々しくもいつもの口調が帰ってきた。
その声にひどく安心して振り返ると同時に、高杉の表情は一気に凍りつく。
振り返った先には破壊された天人の砲台に寄りかかるようにして立っている自分の小姓、
弱々しく笑うの姿があった。


「全く、私の姿が少しでも見えないとすぐ怒鳴るんですから」


そう生意気な口をきくにいつもなら「うるせーよ小姓の分際で」と
頭を小突きながら返す高杉だが、その言葉は喉に突っかかり発せられることはなかった。
萌黄色の着物を着ていたはずのの着物は深紅色に染まっていた。
着物だけではない、肌の色も黒いはずの髪さえも赤く染まっていたのだ。
それがすべて血であると判断するまでしばし時間を要した。
そしてダラリと不自然に伸ばされた左腕に高杉の表情が変わる。



お前っ」


「あぁ・・近寄っちゃだめですって。高杉さんのお召し物が汚れ「んなこと言ってる場合じゃねぇだろ!!」


「腕とどこやられた!!」自分の袖を引きちぎりそれをさらに細く裂く高杉に小さく息をつく。


「ほとんど返り血です。
左肩を撃たれまして・・弾を抉り取ったので力が入らないんですよ。
しばらくすれば大丈・・・っうわっ」


が言い終わらないうちに胸倉を掴んで砲台の根元に座らせると、バッと衿を掻き開く。
サラシ姿の細い体が露になるが、今はそんなことにかまっている余裕などない。
自分の袖だけでは足りないと判断したのか、高杉は了承得ることなくの左の袂を
引き裂きそれを包帯代わりにいまだに出血をしてる肩へと力強く巻いた。
一瞬痛みに顔を引きつらせるが、高杉が巻き終えたと同時に息を一つ吐き出して
「ありがとうございます」と小さく笑ってみせる。


「一旦引き上げるぞ、いいな」


「はい」


手を差し伸べる高杉に、そっと手を伸ばしたその時だった。





「ひゃはっ!!まぁ〜だサルが残ってたねぇ〜」


「「!?」」


突然響いた濁声に高杉とはハッとして振り返った。
そこには数匹の天人。
それぞれ斧や青龍刀のようなでかい武器を携え、ニヤニヤと高杉とを眺めていた。
「くっ」とを背中に隠すように刀を構える高杉に、も歯を食いしばって右手で
刀を強く握る。
一匹の天人がのサラシ姿にニタリと笑った。



「メスだぁ、メスがいるぜぇ〜?!」


その言葉にと高杉に冷たいものが走った。
天人の視線が一斉にへと向けられ、それぞれ卑下は笑みを浮かべたり
ゾッとするほどの舌なめずりをする。


「メスなら楽しんでバラしてやらなきゃなぁ〜」


ザッと天人が足を踏み出す。同時に高杉が地を蹴った。


っ!!逃げろ!!」

「高杉さん!!」


鈍い音を立てて、一番先頭にいた天人を斬り倒すとその勢いで近くの
天人へと刀を向ける。
鬼兵隊総督・その強さはさすが総督をいうべきか。その鮮やかな身のこなし
俊敏さには目を瞠るものがある。


だが


狂獣と異名をもつ高杉といえども、無傷ではなかった。
体中には致命傷には至らなくても大小の傷がいくつもでき、体力も相当消耗している。
そして相手は傷一つない屈強そうな数匹の天人。
それらに囲まれれば、苦戦を強いられざる得なくなる。





「オスには用はないんだよぉ〜?」


「!!」


もう一匹の天人を斬り倒したその時だ、真後ろで背筋が凍るほどの卑下た声が聞こえたのは。
くっと振り返るも刀はいまだ果てた天人に食い込んでいる。
振り返りざまに見たのは鈍く光るナイフと吐き気がするほど顔を歪ませて嗤う天人だった。





ドスッ



「ぐっああああぁぁぁっ!!」



顔に焼けるような痛みが走り、高杉は何が起きたのか理解できなかった。
咄嗟に刀を振り回すも、それは空回りに終わり。
一気に視界が赤くなる風景と武器をかかげる天人が残像のように・・いや徐々に見えなくなっていく。



「高杉さん!!」


痛みに意識が途切れる瞬間に聞こえたのは、自分を呼ぶの叫び声。
そして発狂したような叫び声だった。
その叫び声が妙に響いているようだった。























「っつ・・・ぐぁ・・」



どのくらい意識を飛ばしていたのだろうか、そんなに時間はたってないとは思う。
さっきは急激に痛みに襲われ把握できなかったが、一度意識が飛んだおかげで先ほどに比べて
冷静さが戻ってきていた。
どうやら左目をやられたようだった。断続的に走る顔の痛みに耐えながらもなんとか
見える右目で辺りを伺う。
どうやら砲台によりかかっているらしい。そして目の前には朽ちた天人らと
右手に刀を握ったまま呆然と立ち尽くすの姿。




・・・」




掠れ声で呼べばハッとして顔を上げてこちら向かってくる。



「高杉さん!!」


「へっ・・ドジっちまった」


「私のせいで・・・私の・・・うっうぅ」


俯き肩を震わせてボロボロと泣くの頭をガシガシと撫でながら、遠くの方から
駆け寄ってくる桂と坂田そして坂本の姿をぼんやりと捉えた。



「うっせーな・・・耳元で泣くんじゃねーよ」



高杉の姿に一瞬立ち尽くす桂がひどく滑稽に見えて、
薄く笑うと高杉の意識はそこで途切れていった。





















































「・・・・・・・・腹減った」



「目覚めの第一声がそれならもう大丈夫だな」



目が覚めるとそこは隠れ家の自室だった。
ぼんやりと見慣れた天井を見つめながらポツリと呟けば返答があり、視線だけを
そちらに向ければ布団の横に鎮座している桂の姿があった。
なぜ小姓のではなく桂なんだと僅かばかりに苛立つが、桂は気づいてないのか淡々と
口を開く。


「左目、潰されている。最早使いものにはならんだろう」


「そーかい」


別に後悔などなかった、あの時自分でも薄々きづいていたことだった。
「で」と腕枕をしながら口を開く。


「あの阿呆はどうした。目覚めがテメーのツラなんて後味悪いことこの上ねぇ」


小姓が重症の主から傍を離れるとはとんでもない奴だ。
来たらとりあえず小言の一つ二つ言ってやるかと一人ごちながらも、桂からの
返答がなかなか返ってこないことに目を細める。
機能している右目の視線だけで桂を見据えれば、どこか落ち着かない様子。



「おいヅラァ・・・はどうした」



唸るように声を低くすると、桂は観念したのかそれでも焦るように口を開いた。



「お主が昏睡している間にな・・・・主に怪我を負わせたと腹を切ろうとした」


「・・・なんだと?」


「幸いの様子がどうもおかしいと坂本が見張ってたゆえ、大事には・・・・・
っおい!!高杉!!」


桂の言葉など最早耳に入っていなかった。
勢いよく立ち上がったためにズキリと左目に刺し込むような痛みが走るが
そんなことなどに構っていられない。
自室から飛び出し怒りを露にドスドスと廊下を歩く。
向かう先は同士達が集まっては世論を論議したり、酒を飲んだり騒いだりする部屋。
は高杉の小姓だ。の部屋も高杉と同じ部屋であるからいるとすればそこか土間か・・
部屋の前まで来るとスパンと障子を開け放ち踏み込めば、やはりはそこにいた。
腕を組んで胡坐をかいている銀時の前にちんまりと正座し、深々と項垂れている。
左腕をつっていた。
突然現れた高杉にの顔が凍りつく。


「た・・高す「んの、どアホウがっ!!」



バシンッ



は一瞬何が起きたのかすぐに理解できなかった。
目の前に高杉が迫ってきたと思ったら急にぐわりと視界が動いて、次の瞬間には
ぼんやりと畳の目を見つめていて。
じわじわと沸き起こる右頬の痛みにそこでやっと高杉に張り倒されたのだと理解する。
真後ろで苦しいほどの高杉の怒気が伝わってくる。


「てめぇは誰の許しを得て切腹してんだ、ぁあ?
俺が寝てる間に逝こうなんざも随分偉くなったもんだな」


「いいぞー高杉もっと言ってやれー」


「てめーはすっこんでろっくるパー!」


「くる・・・(泣)」


淡々と茶々を入れる銀時を睨み黙らせると、へと屈みこみその胸倉を掴んで
引き寄せた。
の怯えた目に怒り絶頂の高杉の顔が揺れて映りこむ。



「俺が死ぬ時お前も死ぬ、お前が死ぬ時は俺の傍であれ。
戦に出る前に俺に誓ったあの言葉・・・違えるつもりか!!」


くっとは歯を食いしばって俯いた。
はらりと崩れた前髪のせいでその表情は伺えないが、きつく食いしばった
口元からは苦痛の声が漏れているように思えた。
掠れた声が高杉の鼓膜を震わせる。



「私はっ・・・私のせいで高杉さんを・・・・小姓なのにっ
女だから・・私が女だったから・・・・」


「てめぇ、殺してやろうか?」


「!?」


掴まれている胸倉にさらに力がこもり、鋭い隻眼がさらに鋭く細められて
は声にならない声を微かに上げた。左目を失われているというのにも関わらず
高杉の眼力は衰えることななく、むしろその逆でさらに鋭利な刃物のようにを捉えている。



「『男だろうが女だろうが関係ない、大事なのは志だ』そう言ったのは
お前だったよなぁ?鬼兵隊に堂々と女の姿で入隊志願して対戦相手を
打ちのめし俺に啖呵きったのは誰だ?」






自分で自分を裏切んのかよ






「お前の、俺への忠誠心はそんなもんだったのか」


「ち・・違うっ」


「違うなら証明してみせろ!!死に逃げるんじゃねぇ、這い蹲ってでも
泥水すすっても生きてだ。
俺ぁ生きてるぜ?。てめーみてぇに逃げやしねぇ」






だからお前も逃げんなよ







じわっとの瞳が潤む。
先ほどとは違う優しい手つきでそっと抱きしめてやれば、ぴくりとの体が強張った。
けれどそんなことなど気にせず、耳元で呟く。


「越えてみせろ、男と女。お前の志でその差を越えて見せろ。
お前なら・・いやお前にしかできないはずだ」


「うっ・・・うわぁぁぁぁっ!!」


その言葉がの緊張の糸を切ったのか、は弾かれたように声を上げて泣いた。
「ったくうるせー」と呟きながらも、高杉の表情は穏やかで優しくの頭を
撫で続けていた。
その二人を見守るように銀時・桂・坂本が優しく見つめていた。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




























「・・・その名で呼ばないでください。私はです。という女は捨てました」



苦しげにそして吐き捨てるかのようなの呟きに、
高杉から吐き出された深いため息が重い空気が漂う室内に響き渡る。




「俺ぁ、女を捨てろとは言ってねぇ」



もう十分にお前は尽くしてきただろ




そう背中から包み込むように抱きしめればさらにの体が強張り。
目の前に見止めた耳に唇を寄せ再度「」と何か念込めるように呟けば、はぎゅっと目を瞑って拒むように強く首を振った。


「放してくださいっ!」


「放すかよ、「違うっだ!」


恥ずかしさからではなく怒りで紅潮したが肩越しに高杉を睨みつける。
だが、高杉とて睨まれたからといって放すつもりはない。
今にも人を殺しそうな睨みつけにも関わらず、高杉に浮かぶのは穏やかな笑み。
てっきり解放してくれるかもしくはを上回る睨みを効かせ「誰に物言ってんだ、あ?」と唸るかのどちらかだと思っていたは、
肩越しの間近に迫った高杉の表情が、そのどちらでもない包容力のある穏やかなものに酷く困惑した。
心の中で黒く、苛立たしいものが目の前の笑みに氷解していく。
高杉は何も言うことなくさらにを抱き寄せた。
背中から伝わる体温にひどく狼狽えながら、だが、どこか安心を覚えながらはゆっくりと視線を前に向け俯く。




「私は・・を捨てたんです。私はです」








(高杉さん、これは償いなんです。

あなたから目を光を、そして希望を奪ったの。

だから私はを封印した。

あなたが目的を遂げるその時まで私はとしてあなたに償い続ける。





けど、償いをいつか果たせる時がきたらに戻りたいと思う気持ちがあって、

ああなんて女々しいのだろうと自分が腹立たしい。

高杉さん、そんな愚かなことを考えている私ですが、今はまだとしてあなたに償わせて)




高杉を拒むように強く閉じられたの瞳。
あの日決めた思いはたとえ高杉でも譲れないのだ。
心の内でそう高杉に叫ぶ。高杉の腕を逃れようと
体を起こそうとするが、さらに腕に力が込められた。






「じゃあ・・


穏やかな声に引かれようにノロノロと顔を上げれば、ふわりと高杉の左腕が動いた。
緩慢な動きで高杉の左腕の先を追えば、布団の傍に放られたままの道中三味線。
不思議そうに首を傾げるに薄く笑うと、を懐に抱きかかえたまま三味線を構える。
弦に挟んでいた撥を手に取りながら今一度の耳元で囁いた。




「せめてこの唄だけでも受け取れや」



べべん




強く弦が弾かれる。
高杉に抱かれたまま、は目の前の弦を操る高杉の手の動き、息を継ぐ度に背中に感じる高杉の胸
そして鼓膜に溶け込むかのような低い声とその唄に軽く目を見張った。













お前をからに戻すことが俺のお前への償い。

お前に罪悪感を与えてしまった愚かな俺の。

背負わせちまった、枷をつけてしまった

、お前を鬼兵隊という名の亡霊にしがらみに

巻きつけちまった俺の過ちを・・

からに戻すことが俺にできるせめてもの償い)





その思いを胸に唄を紡ぐ。
歌い終わりに弦を軽く弾いてへと視線を落とせば、は俯いて微かに震えていた。






三味線を脇に起きながら顔を覗き込めば、の瞳にうっすらと水膜が張っているように見え。




「三千・・世界の・・・烏を殺して」




小さな声でが今高杉が唄った詩をたどたどしく反芻する。
それを引き継ぐようにを抱きしめて呟く。


「主と朝寝がしてみたい・・・・


いつか必ず・・・。お前をに女に戻してやらぁ。
だが今はまだ時期じゃねぇ、を拒むってーなら俺は無理強いしねぇ、をいつまでも待つ。
だからよ、せめてこの唄だけでも受けとっとけ」





いいな?


優しく、だがはっきりと拒むこと許さぬ高杉の言葉に、から溢れた銀の雫が零れる。
ふわりと頷くようにその安心できる胸へとなだれ込めば、心地よく受け止めながら高杉はそっと目を伏せた。












私の  俺の




貴方への  お前への




償いが



果たされたその時こそは・・・









+三千世界の烏を殺して 主と朝寝がしたい+






どうか今はまだ・・・・












本当は史実でもっていこうかと思っていた高杉小説。

で、「高杉のあの目はどうしたんだろーか」と思い当たっていろいろ妄想を
巡らせていたら、いつの間にが銀魂高杉夢に;
所々に史実な件が見え隠れしてるのはご愛嬌で;(無理だから)
にしても最近一作書くのに一週間以上かかるってどんなん?!

2007年7月16日執筆