「ミス・。これを頼めるか?」
「ほい来たさ!」
+闇の満月+
が倒れてから数日が過ぎた。
すっかり元気を取り戻したは、にっこりと笑顔でフィルチから荷物を受け取る。
倒れた理由は知らないが、数日前から不眠続きでふらつきながら歩く姿を幾度となく見つけ、
それでも元気そうに笑って仕事をするの姿に、フィルチは心配の色が隠せなかった。
校則違反者以外、他人に興味のなさそうなミセス・ノリスまでもが、不安気に鳴きながらの足に摺り寄っていたほどで。
だが、医務室から戻ってきてから十分な睡眠がとれているようで、フィルチはに悟られぬように微笑み、ホッと胸を撫でおろしたのだった。
の晴れ晴れとした表情に心踊らされながら、の向かい側の席に腰を下ろし、箱につめられた洋皮紙を一枚ずつ仕分けしていく。
お互い、作業に集中して一言も言葉を交わさないが、医務室にはのんびりとした空気が流れていた。
冬の穏やかな陽の光が差し込む出窓ではミセス・ノリスがのんびりと寝息をたてている。
どのくらい時間がすぎたのだろうか。
「さてと」
洋皮紙の仕分けを終えたフィルチが大きなため息とともに呟いた。
細かい作業の時にかけているメガネをはずし、皺まみれの手で顔を撫でる。
ふと外を見やれば、いまだ四時だというのに、あたりはすっかりと暗くなっていた。
暖炉に薪を放り投げれば、パチッパチと乾いた音が部屋に響き渡る。
もあらかた終わり、「はふー」と小さな疲労のため息を一つついた。
「茶にするか」
皺まみれの手でミセス・ノリスを抱き上げながら、作業台へと踵を返すフィルチ。
はにっこりと微笑むと、軽くかかとを鳴らしてサッと立ち上がった。
「〜!?」
「む?」
「またお前か!ビーブス!?」
のんびりと紅茶を飲んでいると、けたたましい音をたてながらビーブスが壁をすり抜けてきた。
フィルチが不機嫌そうに唸ってるのを、べーっと舌をみせつけ、ふわ〜とのところへすべり降りてくる。
「〜遊ぼう!?仕事終わったんだろ?遊ぼう!?」
に塔の先端にくくりつけられ、放置されてからというもの、ビーブスはいたくのことが気に入り、
が仕事を終わる時間を見計らってはいつもの元に現れていた。
フィルチはたいそう気に入らないようだが、はのほほ〜んとしながらビーブスにつき合っていた。
そして、今日もの前にビーブスが現れる。
が来てからというもの、ぱったりとビーブスのいたずらが止まったのは、単にを恐れているだけではなさそうだった。
ビーブスの顔にはゴーストだというのに、ほんのりと赤みがしていたのだ。
は「んー」と軽く唸ると、カチャリと軽い音を立てながらカップを置く。
「いいけど・・花瓶投げあいはもう嫌よ?ブーブス。あの時投げたやつの中に
マクゴナガル先生のお気に入りの花瓶もあって、それは凄い勢いで怒られたんだから!」
花瓶の投げあいなぞ普通しないだろうが、は真剣な眼差しでビーブスを
軽く睨みつけた。しょうがねーなと頷くビーブスだが、一瞬固まって頭をわしわしとかいた。
「あのよぉ・・・〜いい加減おいらの名前覚えてくれよぉ〜」
「?あれ?ブーブスでしょう?」
「ビーブス!」
「・・・・・・・まっ変わりないしv」
「覚えろー!」
とビーブスのやりとりを笑いを堪えながら見つめているフィルチ。
そして、その腕にはやりきれないといった表情で欠伸をするミセス・ノリスが眠たそうに目を細めていた。
夕食の時間が近くなり、はフィルチとともに部屋を出た。
ビーブスはのやりとりに疲れて、彼らよりも前にどこかに消えてしまい・・
途中の十字路で用を思い出したフィルチが「先に行っててくれ」と
に軽く手を振り、もときた廊下を小走りに去っていった。
その後姿を、にっこりと笑いながら見送ると、またかかとを軽くならして
ゆっくりと大広間へと向かう。
そして、一人になると突如として襲われる焦燥感。
の周りを取り巻く空気が、静かなものに変わると急に不安に駆られる。
ふと思いふけそうになれば、脳裏にうっすらと声が響いてきそうで・・
はギュッと目を閉じて、首を振ると。
耐え切れないように、渡り廊下から裏庭へと飛び出した。
大して走ってもいないのに、息が荒くて胸が苦しい・・
苦しそうに目を閉じて、必死に呼吸を整えるが、まるで焦っているかのように
なかなか落ち着くことができない。
どのくらいたったのだろか?実際の時間は2〜3分しかたっていないのだが、
にとっては1時間にも感じられた・・・
深く息を吸ってようやく、落ち着いたはふと辺りが青白く輝いていることに
気づいて空を見上げた。
そこには、漆黒の夜空に浮かび上がった大きな満月がぽっかりと浮んでいた。
飲み込まれそうなほどに大きく、美しい満月には思わず目を見開く。
「綺麗・・・」
は気づいてはいなかった。
そのあまりの美しさに、自分の鼓動が高鳴っていることに、
そのまばゆい月光に体が硬直し、でもその右腕が満月へと伸ばしていることに。
手の平を満月に掲げれば、白く染まった手が黒い影となる。
「?」
後ろから声をかけられて、は弾かれたように瞬きをした。
「あ・・・・」
呆けたように振り返れば、渡り廊下からハリー・ロン・ハーマイオニーが不思議そうにを見つめていた。
急に声をかけられ、現実に戻されたが何を言ったらいいのかわからず、罰が悪そうに笑って見せた。
ハーマイオニーが心配そうにのもとへ歩みよってくる。
「どうしたの??どこか具合でも悪いの?」
本当に心配そうに見あげてくるハーマイオニーに、はニッコリと笑って首を横に振る。
「ううん。違うの。月が・・あまりにも綺麗で・・・つい見とれてたんだー」
そして再び満月を仰ぎ見る。
ハーマイオニーもつられて満月を見上げれば、声にならない感動の悲鳴がかすかに漏れた。
「まあ・・・・本当・・・」
ハリーとロンも裏庭へ出てきて、眩しそうに満月を仰ぎ見た。
スネイプが渡り廊下の向こう側の廊下からを見かけたのは、一人裏庭でたたずんでいる時だった。
まるで満月に吸い込まれるかのように、手を夜空へ伸ばし。
その瞳にはしっかりと満月を焼き付け・・。
満月に映し出されたは思わず息を呑むほどに綺麗で美しく、
そして、人ではないのではないかとも思えた。そして・・
本当に満月に連れて行かれるのではないかと
そう、思った瞬間。急に体中に焦りという感情が雷のように走った。
裏庭へ向かおうと一歩踏み込んだその時、渡り廊下からハーマイオニーがの元へと歩み寄った。
何を話しているのかわからない。
しばらくしてハリーとロンも裏庭でてきてしばらくの間、4人満月を仰ぎ見ていた。
医務室の件から数日がたっているが、その間にと会うことはなかった。
いや、見かけはする。
必死に、それでも楽しそうに働く姿や生徒達と楽しそうに会話していたり、
夕食の時、嫌いなのであろうトマトをフィルチの皿に乗せて、フィルチに「食べんか」と窘められていたり。
だが、スネイプと何か話すというようなことはなかった。実際、とばったりと会うということもなかったことも
あるのかもしれない。
避けられているのか
の頬を思い切り叩いたのだ。嫌われても仕方ないか・・そう思いつつも、
の楽しそうな笑顔を見るだけでなぜかスネイプはひどく落ち着くような気がした。
「睡眠はとれているようだな・・・」
そう微かに笑うと、スネイプはサッと踵を返して夕食をとるため大広間へと足早に歩いていった。
「ミス・・・・・いい加減食べたらどうだ」
「うぅ・・嫌いなんだもん・・・」
食事をしていると席の端の方で、聞きなれた会話がスネイプの鼓膜を振動させた。
ちらりと横目で見やれば、本当に嫌そうに口を尖らせながら、フォークでトマトを突付くの姿。
そしてその隣では、呆れ顔のフィルチが「食べろ」と腕を組んでいた。
その度々見られる光景に、スネイプは含み笑いをして紅茶を飲み干すと静かに席を立ち大広間から出て行った。
背中に聞えてくる、教員席の騒がしい声も聞きなれた光景のこと。
おそらくフィルチがを押さえつけて、トマトを押し付けているのであろう。
スネイプは振り返らずにドアを押し開けて出て行った。
「誰だ」
スネイプが自室に入ると人の気配を感じ、ザッと杖を取り出した。
薄暗い地下牢のスネイプの部屋。
部屋にはスネイプの鋭い声だけが響き渡る。だが間違いない、何か生あるものがこの部屋にいる。
スネイプは目を細めて部屋の中を見渡した。
何も動かない、聞えるのはスネイプの張り詰めた呼吸だけ。
突然、部屋の隅の陰がゆらりと動いた。キッとそちらを睨みつけ杖を突き出す。
「私だ」
黒い影が静かに答えると、スネイプは不機嫌そうに溜息をついて杖を下ろした。
「貴様か・・・・何のようだ。ハルツ」
黒い影は黒ぽいローブを着て、フードをすっぽりと被っている男だった。
ハルツ・・そう、その名はヴォルデモートの側近の男の名・・・
パサリとフードをおろすと、そこにはスネイプと同年代、いや、スネイプよりやや若そうな男の
顔が現われた。
紅茶のような赤みがかった髪色に、透き通るような紫色。
その表情はキリッとした好青年のようだ。
ハルツはスネイプに警戒をするわけでもなく、ふんと鼻を鳴らす。
「我が主からの言付けだ。」
「ほう?」
そう、スネイプに1通の手紙を手渡す。
それを興味なさそうに受け取ると、サッと中身を開いて読んだ。
「・・・・・・・・うまくやっているか?」
手紙を読んでいるスネイプに、ハルツは感情がこもっていない声で呟いた。
「あぁ」
手紙に視線を落としたままスネイプがハルツ同様、感情のこもらない返事をする。
手紙をたたみ、懐へ押し込むとハルツはサッと立ち上がった。
「ならいい。いいか、しくじるなよ。」
「貴様に言われんでもそのつもりはない」
一瞬、怒りに目を見開いたハルツだが、チッと舌打ちをすると再びフードを被り
スッと消えていった。
ハルツが消えたその場所を、スネイプはしばらくの間憎らしげに睨みつけていた。
漆黒の夜空にぽっかりと浮んだ満月・・・・
それはまるで何かを予言しているかのようだ、ダンブルドアは校長室の窓から儚げに満月を見つめていた。