我輩が止めていればこんな事態にはならなかった。
己のとった浅はかな行動が、最悪の事態を招いたのだ。


スネイプは霞んでいく視界の向こうに、まるで真珠のような涙を流しているを捉えた。
こんな状況下でもそれを美しいと思う己に小さく笑う。
ゆっくりとへと手を伸ばすと同時に、視界は闇となり


消え果た。

















+人形の涙ー前編ー+







いったいどうしてこうなったのか、スネイプは普段より寄せられている眉間の皺を
一層濃くし、深い溜息をゆっくりと吐き出した。
珍しく晴れ渡ったロンドン市街をマルフォイ家のリムジンの中より眺めれば、
道行く人がその豪華なリムジンを物珍しげに見つめている。
そんな光景にさらに深い溜息をつくと、向かい深々と腰を落ち着かせている
シルバーブロンドの男を苦々しく睨みつけた。
背中まで伸ばされている髪は魔法により短く整え、出かける際には必ず
着用している深い闇を思わせるマントも取り払われ、マグルのスーツを身に纏わせていた。
スネイプも肩まで伸ばされている髪を一つに結い、ルシウスほどの上等なものではないが、スーツに身を包んでいる。
ルシウスは貴族独特の微笑を浮かべながら、軽く目を閉じていた。
ルシウスの隣に腰を下ろしていたドラコは向かい席の少女に、身を乗り出すように話しかけている。



「ほらッ。あれがロンドン塔だ」


「わあっ」




そもそもなぜ、スネイプとがマルフォイ父子と共にマグル界へ来ているのだろうか。
それはホグワーツ校の夏休みが中盤へと差し掛かった頃だった。
夏休みを迎えるホグワーツは生徒はもちろんのこと、教師達も一時家に帰ることを義務付けられている。
それはスネイプ例外ではない。では、はどうするのか。
彼女には帰る家などない。そうダンブルドアへ助言を求めれば、半月眼鏡奥の瞳が嬉々として揺れた。


「それならばセブルス。お主の家に彼女を住まわせておくれ」


ダンブルドアの言葉に異論などなかった。あるはずもない、スネイプ自身もそうするつもりだったのだ。
スネイプの家は完全な魔法使いの村にあり、を見て叫び声をあげマグルのメディアに取り上げられることもない。
それに常にを傍らにおいておきたかったのだ。
今ではスネイプにとってという存在は、心の拠りどころであり、失うことのできないものとなっていた。
それはスネイプ自身も気づき始めていること。
ダンブルドアの了承を得、夏休みは自分の家で過ごすように告げた瞬間、の表情はまるで
満開の薔薇のように美しく綻んだのだった。

スネイプの家で過ごし始めてから一週間ほど過ぎた、よく晴れ渡った朝のことだった。
夜明け近くまで研究をしていたスネイプは、深い眠りに落ちていて、は足音を立てぬよう、
スネイプの寝室の隣、の自室にと与えられた部屋から抜け出すと、一階のリビングへと向かった。
研究に使われる薬草が密集している庭を望む大きなガラスドアを開けば、夏の爽やかな風がサッと
リビングへと駆け込んできて、は思わず嬉しそうに微笑んだ。
「おはよう!」とに手を振るように、ワームウッドやバレリアンが揺れている。
軽い足取りで庭へ出て、ラヴェンダーの花穂に触れれば、甘い香りが鼻先を掠めると同時に、
ラヴェンダーに寄ってきていた蜜蜂が驚いて慌しく周りを飛び回る。
それを満足げに見やると、サッと立ち上がり辺りを見渡した。
家の前には舗装されていない小道が通っており、毎朝同じ時間通り家の前を通り過ぎていく
散歩中の老婆と挨拶を交わす。
カタカタと後ろの方で音が聞こえ振り返れば、この家の置いた屋敷しもべ妖精のへクターが
薬草の手入れをはじめていた。


「おはよう!へクター」」


「おはようございます!様!」



スネイプはほとんどといっていいほど家にいない。そのためへクターが主人の代わり、
家や庭の手入れをしているのだ。
スネイプがを連れてきた日、へクターは忙しなくパタパタと大きな耳を動かし、
喜びの叫び声をあげての足元を駆け回った。
その熱烈な歓迎には少し恥ずかしそうに、へクターへとちょこんとお辞儀をして、
スネイプは呆れ気味に溜息をついたのだった。
とへクターは並んで庭のベンチに座り、庭を眺めた。
そよそよと揺れる青々とした草花がとてもすがすがしい。
スネイプが家に人を招くことなどまったくなかったというへクターの話に、は少し驚くも
「あなたは特別な存在なんですね」と嬉しそうに微笑むへクターの姿に、なんだか胸が熱くなるのを感じだ。
今まで体の一部が熱くなるのなんで、自分がスネイプの魔法により動けるようになって以来だ。
両手のひらを見つめ、今まで感じたことのない感覚があることには改めて声をのんだ。
正確な時期はわからない、けれどもいつからかはあらゆる感覚を感じずにはいられなかった。
ちくりと胸が痛む感覚、花や土の香りを感じる嗅覚、肌に触れた水を冷たいと感じる感覚、
様々な感覚がを包みはじめていた。
それを怖く思い、スネイプに打ち明けたことがあったのだが、逆に優しく頭を撫でられたのだ。

「それが人間の感覚というものだ」


その言葉は深くの体に染み込んだ。
人形である自分に人間としての感覚が出てきている、それは自分が人間に近づいている証拠なのではないか。
夏休みを向かえ、スネイプの家で過ごし始めてからその感覚はさらに確かなものへとなってきていた。
へクターに一つだけ、薬草の名前や由来を教えてもらうのが毎朝の日課になっていた。
今朝の薬草はフラックス。どんな効能があるのか、どのような調合に使用するのか。
スネイプから教えてもらう時とは違う学ぶ楽しさが、日々をさらに楽しいものへとしていた。
ふと空の方から鳥の羽が羽ばたく音が聞こえ、とへクターは空を仰いだ。
数羽のフクロウがこちらへ飛んでくる。フクロウ便だ。
特に驚くこともない、教授と呼ばれる身分ともなれば毎日フクロウがやってくる。
手紙と小包を受け取ると、とへクターはフクロウたちに水と干し肉をやった。
差出人を確認していると、一通の手紙に手を止める。

L・Malfoy

マルフォイ?もしかしてドラコの父親からの手紙だろうか?
高級そうな、魔法界でも見かけるのは珍しいなめし皮の封筒におそらく家紋章であろう
Mと踊るような文字を中心に蔦が文字に絡んでいる型押しが施されている。
宛名である「Severus Snape」という文字も凝った型押しにされていた。
かなり手の込まれた手紙だ。
は丁寧に手紙を揃えるとリビングに戻り、スネイプが毎朝起きてから必ず座るソファ横の
サイドテーブルに手紙と小包を置いた。
スネイプが起きてきたのは正午を迎える少し前だった。
まだ疲れが残っているのだろう、ソファへなだれ込むと同時に小さく息を吐き出す。
それを見計らって紅茶を出すのがのスネイプの家に来てからの日課だ。
小さい笑みを浮かべながら受け取ると、香りを味わいながら一つ口につける。
徐々に意識がはっきりしてきたところで、スネイプはようやくサイドテーブルの手紙に目を向けた。
ほとんどが魔法薬や研究に関するもののようだ。小包みは先日薬問屋に注文していた薬品が
入っていた。あのなめし皮の手紙を手にした瞬間、スネイプの顔が険しくなり向かい合うように
座っていたは不思議そうに首を傾げた。
いちいち宛名を確認しなくても、すぐにわかる封筒と家紋の型押し。
スネイプはめんどうくさそうに封を切り、手紙を取り出した。
その数日後、スネイプとはマルフォイ父子と共にマルフォイ家のリムジンの中にいた。


  

−ダイアゴンに息子の学用品を揃えに行くついでにロンドン市街にも行こうと思う。
と来い。無論拒否権はない−


と、紙で作られた人形とともにたったこれだけの手紙。
しかもこの人形、東洋では呪いを込めるときに使用されるものだ。
つまり来なかったらお前を呪うということだろう。スネイプはさも疲れたように額に手を乗せた。
この男は時折こんな子供染みた誘い方をする。スネイプも大人だ。
いくら距離を置きたい相手だとしてもそれ相応の対応を心得ている。ふと庭へと目を向ければ
マルフォイ家のフクロウがジッとこちらを見ていた。念入りに手入れをされているのだろう、
こげ茶色の羽毛は艶やかな光を放ち、マルフォイ家独特ブルーの瞳がスネイプを捉えて離さない。
どうやらすぐに返事をよこせという意味らしい。
先日届いたホグワーツからの手紙に買い付けるものがあることを思い出したスネイプは、
少し面倒くさそうに羽ペンを走らせると、マルフォイ家のフクロウに渡した。







「おい・・・貴様、何が目的だ」



マグルの高級雑貨店、ドラコとが並べられている雑貨に夢中になっているのを眺めながら
スネイプは声を小さく低くしてルシウスに唸った。
長身でスタイルもかなり見栄えがするスネイプとルシウスの2人が並ぶだけで、その空間はなんとも
煌びやかな空気が漂う。店内にいた客達、店員までもがうっとりとした表情で2人を見つめていた。
ドラコもプラチナブロンドの髪をオールバックに揃え、しっかり糊付けされた白いシャツに
ホグワーツのスリザリンネクタイとは違う上品な深緑のネクタイを締め、
は関節が見えないようにするため、それらをしっかりと隠した夏用の紺のワンピース。
裾や襟元は白いレースであしらわれ、髪には夏休みにパンジーが作って送ってきた白い花のコサージュが
納まっていた。漆黒の髪に白のコサージュが一層際立つ。
スネイプとルシウスの2人にも引けを取らないバランスの良い出で立ちはや、はり周囲の好奇な視線を浴びていた。
2人仲良く並べられた雑貨を見つめる光景はなんとも微笑ましいもので、近くに老婦人は嬉しそうに2人を見つめていた。
ひそひそと「奥様に贈り物かしら」「やはり親子よね?」とマダム達の声が聞こえてくる。
そんな好奇の眼差しを満足そうに堪能しながら、不機嫌を押し出しているスネイプをチラリとみやった。



「目的などない。に会いたかっただけだ」


「それだけで十分危険だな。貴様、よもやホグワーツでのことを忘れたとは言わせんぞ」


「う;」


スタイル抜群の男2人がひそひそと話す姿はなんとも絵になるらしい。
それを見たマダム達数人が甘い溜息とともに失神しそうになった。もちろん彼らが話している内容は
聞き取れないだろう。もし聞こえていたら聞きなれない場所にただなる空気に疑問を感じるはずだ。
スネイプの言葉にルシウスは一瞬血の気が引いた。どうやら脳裏に妻ナルシッサの姿がよぎったらしい。
ホグワーツの件だけしか目撃していない者でも、ナルシッサがルシウスにとってどれほどの恐妻か
気づいただろう。シリウスとルーピンがほんの少しだけルシウスに同情していたほどだ。
しかし、よくナルシッサが出かけることを許したとスネイプは不思議に思っていた。
どうやらスネイプとドラコがひと時もルシウスから目を離さないことを条件に許可したと
店に入る前にドラコに耳打ちされた。どうりドラコがの傍から離れないわけだ。
しかし、いくらなんでも貴族として名高いルシウスが街中で、しかもマグルの街でバカな真似はしないだろう。
と、視線をルシウスからドラコとに戻した時だった。



「・・・・・・ルシウス、奥方もみえるおつもりだったのか」


「なに馬鹿なことを言っている。ナルシッサは私以上にマグルが嫌いだ。来るわけないであ・・ろ・・う?」



スネイプの視線が自分でないことに不思議に思い、その方へ視線を走らせると同時に
ルシウスの顔からみるみると血の気が引いていった。
ルシウスはマグル嫌いだ。マグルが魔法学校に通うことを恨みにさえ感じているほどに。
しかしマグル嫌いのくせにルシウスにはマグル界へ出かけるという矛盾した趣味があった。
時折ドラコを連れてはオペラにローズガーデンにと惜しげもなく通っている。
しかし、ナルシッサはそのマグルの文化でさえも拒絶している。そんな妻がわざわざマグルの
世界に足を踏み入れることはしないとルシウスはスネイプの言葉に顔を顰めた。
それでは自分の視線の先にいるのは?
2人の視線の先にはドラコとに優雅な笑み称えている一人の女性。
ヴィーナスのような煌びやかな金髪をまとめ、深海を思わせる魅惑的な蒼い瞳が美しい。
普段着ているベルベット地の艶やかローブは、上品な濃紺色のツーピース。


「ナッ・・・ナルシッサ!」


ルシウスの驚き染みた声は周りにいた客を振り向かせるには十分な大きさだった。
不思議そうにこちらを見ているが、そんなことに気を止めている余裕などない。
ナルシッサはドラコとから顔を上げると、美しい笑みをルシウスとスネイプに向けた。
上品で柔らかな笑みだが、ルシウスとスネイプは背中に走る冷たいものを感じずにはいられなかった。


「ふふ・・・わたくしも来てしまいましたわ、貴方


妙に語尾を強調しながらゆったりとした足取りで、ルシウスの前まで歩いてくると、
スネイプに小さく微笑む。


「御機嫌よう、セブルス」

「お元気そうで」

「おかげさまで。今日もかわいいわね、v。わたくし、もう心配で心配で
着てしまったの。迷惑だったかしら?」


一瞬冷たい空気がナルシッサを取り巻いた気がするが、おそらく気のせいではないであろう。
ルシウスに首を振る権限などあるわけがなく、ナルシッサを加え五人で昼食を取るためリムジンへと向かった。
とナルシッサが楽しそうに話をしている。その隣でドラコも2人の話を楽しげに聞いていた。
その三人を眺めながらスネイプはスッと横にいるルシウスを見やる。


「顔色が悪いぞ」

「案ずるな・・・気のせいだ」


どうやらかなりナルシッサが怖いらしい・・・・スネイプは僅かながらにルシウスに同情した。
昼食はルシウスが特に気に入っているという、カフェでとった。
テラスに差し込む日の光がほどよく木々に遮られ心地よい。
貴族であるルシウスのことだ、てっきり高級レストランを予約しているものだと思っていたが、

「ここのティーとスコーンが絶品でね。かしこまるのは魔法界で十分だ。
それに彼女をリムジンに残しておくことはできんだろう、ここなら頼まなくて疑われん」


テラスのパラソルが開いたテーブルに腰を下ろしながら口を開くルシウスに、スネイプは少し彼に
感謝した。
は食べることができない。レストランに入れば必ず何かしら頼まなくてはならないが、
開放感溢れるこのカフェなら居心地もいいし、とくに気にも止められないであろう。
それよりも、こういったスタイルを好むルシウスに驚きを覚えた方が大きかった。
マグル界に来るのも嫌いだといっていたナルシッサも、空腹なのかルシウスと同じものを頼んでいた。
ここでも周囲の好奇の視線を浴びていたが、特に気にすることもなく無事?に昼食をとり終えた。
そしてそろそろダイアゴン横丁へ行こうとなり、カフェを出てリムジンに乗り込もうとした時だった。
ギャギャギャと凄まじい音を立てながら黒のワゴン車がルシウス達に近づいてきた。
減速するつもりはないようだ。ルシウスはナルシッサを急いでリムジンへ押しやると、ドラコを自分の後ろへと
やりスッとスーツの内ポケットへと手を伸ばした。
スネイプもをカフェの中へやろうとした瞬間、ワゴンの扉がガコンと開き中から意志をもった蔦が
へと襲い掛かった。それは一瞬のことで、スネイプがサッとスーツの内ポケットへと
手を伸ばした瞬間にははワゴンの中へと引きずり込まれ、ワゴンは急スピードで去って行った。
あまりにも突然のことで言葉を忘れたルシウスとスネイプに、偶然居合わせていた警官が駆け寄ってきた。
白昼に起こったこの連れ去り事件は、多くの人間が目の当たりにしとたんに騒然となった。
ドラコを引き寄せながら、真っ青になっているナルシッサに声を掛けると警察官はルシウスとスネイプへと
駆け寄ってきた。


「ナンバーを見ましたか!?」

「い・・いや」

「すぐに署へ連絡しなくてはっ!!」


パトカーへと走り戻っていく警察官を眺めながらルシウスはスネイプだけに聞こえるように声を低くして
口を開いた。


「見たか?」

「あぁ」


無言で顔を見合わせて頷くとサッとリムジンへと乗り込んで、運転手に車を出させるよう命令する。



「ドルフェスタ、追えるか?」

「はいご主人様。しっかりと感じ取りました」

「よし。追ってくれ」


急発進するリムジンに警察官が慌てて顔をあげて何か叫んでいるのがバックミラー越しに見えた。


「スネイプ、確かに見たな?」

「あぁ」


真っ青になっているナルシッサを今度はドラコが抱きしめている。
それを見つめながらスネイプは怒りを抑えた声色で口を開いた。



「車の中から出てきた蔦。あの意志をもったような蔦は明らかに魔法によるものだ。」

「しかもかなり高度な・・・だ。」


運転手ドルフェスタの目が赤から青そして緑へと変色している。
ワゴンから魔法使いによる気を察知して、それを追っているのだ。ドルフェスタにはその能力が
備わっており、それを買われてマルフォイ家の運転手として雇われている。
リムジンは何度も道を曲がり、交差点を通過しやがて小さく古びた港へと入っていった。


「ご主人様、この中です」


錆び付いた鉄扉の倉庫の前でリムジンは静かに止まった。
ルシウスとスネイプは音を立てないようにリムジンからおりると倉庫を見上げた。
2人の手には杖がすでに握られている。
ナルシッサとドラコにはリムジンの中に残るように告げると、ドルフェスタに離れたところでリムジンを止め
魔法省へ連絡するように言いつける。
リムジンが去ったのを確認すると、二人は頷き合って倉庫の扉を押し開いた。














後編へ