翌朝、が目を覚ますとテーブルの上にはたった今置かれたばっかりと言わんばかりのホカホカの朝食が乗っていた。
「屋敷しもべ妖精だ」
自分が起きるギリギリまで待っていてくれたのだろう。そう思うと嬉しくなってテーブルにつく。がサンドイッチに噛り付こうかという瞬間、ドアをノックする音が聞こえた。
「?はーい…って、あ…ルーピン先生」
「やぁ、起きてたかい?」
優しい笑みを浮かべたルーピンがドアの向こうに立っていた。何となく立ち話も悪い気がして
はルーピンを部屋の中に通すと紅茶をルーピンにも勧めた。
「あ、そだ。ルーピン先生には助けてもらったのにお礼も言わないでゴメンなさい。本当にありがとうございました」
ペコリと頭を下げるとルーピンが微笑みを返す。
「気にすることは無いよ。こんな状況では混乱するのが当たり前さ。それより元気そうで良かった」
「元気…まぁ、元気ですよね。ってか元気でいるぐらいしかすることも無いし」
あっけらかんとした様子のにルーピンは苦笑した。昨日あれだけ混乱していたのにもうこんなに落ち着いている。
この世界に彼女が親しみを感じている所為だろうか?
「今日はどんな予定でいるの?」
「特に予定は。授業時間になったらこっそり出歩いてみようかな?なんて思ってますけど」
「…迷子にならない?」
「……昨日一回なりました」
この歳で迷子になった事実に思わず赤くなるにルーピンが一枚の羊皮紙を差し出した。
「…なんですか?」
「ホグワーツの地図。とは言っても昨日取り急ぎ作ったものだけど…君がいる場所からこの部屋までの帰り道を示してくれるよ」
ルーピンが杖でちょんと羊皮紙を叩くとポワンと中央に・と言う文字が現れる。
「うわー!忍びの地図みたい!!」
「忍びの地図の事を知っているの?そうだよ、これは同じ要領で出来ていて…最ももっと簡単な作りになっているけどね。
に必要な事ぐらいは教えてくれるはずだよ」
「うわー!すごーい!!わざわざ作ってくれたんですか?ありがとうございます!!」
は地図を抱き締めるとニッコリと笑った。
ちょうど予鈴の鐘が鳴ってルーピンが腰を上げる。
「何かあったらいつでも相談に乗るからね。何でも言って来るんだよ」
「ありがとうございます!あ、そうだ!ルーピン先生」
はピーター…スキャバーズの事やシリウスが無実だと言う事を知らせようと口を開きかけた。しかし…。
(え?あれ??)
「?」
「あれ??ん???…ごめんなさいルーピン先生、何でもないです」
「…?そう?それじゃあ私はこれで」
立ち去っていくルーピンを見送りながらは大きく首を傾げた。
(思い出せない)
これまで本が擦り切れるほど読んだハリポタ3巻の内容が全く思い出せない。シリウスという名前は知ってる。
でもそれが誰を指して、どんな人物なのかが判らない。はしばらく頭を捻って悩んだ挙句にようやく気が付いた。
「そっか…未来を知ってる人間なんておかしいもんね」
不用意にこれから先に起こることを口にしたりすれば物語が根底から覆りかねない。は小説の事に関して口にするのは止めておこうと心に決めた。
「あ、本鈴なってる」
はドアにピッタリと張り付くと廊下の気配を探った。バタバタと慌しい足音が遠ざかっていく。
「…もういいかな?」
10分ぐらいドアに張り付いていたはすっかり廊下が静まり返ったのを確認すると、ルーピンがくれた地図を片手にそっと部屋を出た。
シンとした廊下に鼓動が早くなるが、それよりもは興奮ではちきれそうだった。
(本当にホグワーツなんだ…あ!肖像画動いてる!!うわぁ…階段もだ。じゃあやっぱりゴーストも…いるよ!!)
は人に出会わないよう気をつけながら、でも目をキラキラさせながら廊下を進んだ。
こんな経験、絶対できっこない。出来るわけが無い。それをいま自分がしているのかと思うとなんとも言えない興奮がの体の中を駆け巡った。
「あ、何か裏庭風」
廊下から外へと出ると茂みに隠されたところに少しだけ開けた場所があった。
フレッドやジョージが悪巧みに使いそうな場所にが嬉しくなってそこに足を向ける。
ストンとそこに座り込んではグルリと周囲を見回した。
「……………」
「………」
バッチリと目があった。茂みの中に潜んだ黒い影。息を潜めるようにしてしている黒い犬には目を見開くと駆け寄った。
「シリウス!」
「!」
そう名を呼んだ瞬間、黒犬はバッと身を起こすと警戒の体制を取った。しかしはお構い無しに犬に近づく。
「って…いやなんでシリウスって呼んじゃうかな私。ねぇワンコ。シリウスって名前嫌い?私この名前好きなんだけどさー」
「………」
黒犬は数回目を瞬かせるとまた地面に伏せてしまった。
警戒姿勢のなくなった黒犬にが更に近寄って撫でる。
「んー…シリウスが嫌なら…そうだなぁ……スナッフルってのも可愛いかもね」
「……」
反応しない犬にもめげずにもう一度呼びかける。
「スナッフルやーい」
「………ワン」
イヤイヤといった風に返事を返す犬をはぎゅっと抱き締めた。
の家でも犬を飼っている。それを思い出しては少し寂しくなった。
「野良さんだね。一人でこんな所まで来たの?寂しくなかった?」
「…クゥ〜ン」
「私…帰れるのかな」
ハリポタの世界に来てしまったという興奮でそう気にならなかったことだが、は突然怖くなった。
このままもし帰れなかったら自分はずっとここに暮らすことになるのかもしれない…。
「も…家族に会えなくなっちゃう?」
「クゥ〜ン……」
黒犬がぺろりとの頬を舐めた。を気遣ってくれている事が感じられて嬉しくて微笑む。
「ありがと…校長先生も大丈夫って言ってくれてるし…うん、大丈夫」
気が抜けてポテリと黒犬の横に転がる。
「…この世界は素敵だけど、私の居場所は無いもんね……」
そしてスゥと寝入ってしまう。がグッスリと眠ってしまったのを確認して黒犬がため息をついた。
「驚いた…この子は天然か?全く…誰がスナッフルだ」
しかし何だか嫌な気はしない。モゾモゾと寝返りをうつの頬に鼻面をくっ付けるとシリウスは小さく微笑んだ。
「いい夢を」
軽快な足音が遠ざかっていく。はそれを心地良く聞きながらもっと深い眠りに落ちていった。
「おい、見ろよフレッド」
「おぉ、これは可愛らしい眠り姫だ」
「………?」
人の声にはゆっくりと目を開けた。
まず目に入ってきたのは4本の足だった。それもかなり大きな足だ。それにマント。
(……誰?)
はぼんやりした頭を無理に動かそうと試みた。しかし寝起きで上手く動けない。
そんなを両脇から4本の腕が抱き起こしてくれた。
「「おはよう眠り姫」」
「……ふえ?」
(このノリって……)
はぼやけた視界に喝を入れると自分を起こしてくれた人物を見た。
全くおんなじ赤い髪にそばかすのあるそっくりな2つの顔。
「………」
「「姫を目覚めさせた王子達に祝福のキスを♪」」
「……にょえぇぇぇぇぇぇっ!?」
(フレッドとジョージだぁ!)
んーっ♪と顔面に迫ってくる2つの顔には真っ赤になるとワタワタと離れた。おや、おやおや?と首を傾げる双子に何を言えば良いのか判らなくなる。
「あ、あう…えーっと……その、その……」
「おや、姫は変った制服を着ているぞフレッド」
「おやおや確かにどこの学校だろう?」
「うっ……」
返事に詰まったにフレッドとジョージは顔を見合わせるとニヤリと笑った。
(ひえぇぇぇぇ!怖い!!)
は回れ右して帰ろうと踵を返した。しかし次の瞬間、ガシッと両脇から羽交い絞めにあってしまう。
「「逃がしませんぞ、姫♪」」
「姫じゃないから離してェ〜!」
「まぁまぁそう言わず」
「我らと一緒に遊びましょ♪」
「うわぁ〜ん!」
はそのままズルズルーッとグリフィンドール寮まで連れ去られた。
談話室の肘掛け椅子に座らされると、談話室にいた面々にフレッドとジョージが高らかに宣言した。
「紳士、淑女諸君!我らが秘密の隠れ家で発見した眠り姫をとくとご覧あれ!!」
「えっ!?いや…」
ワッ!とが何か言うより先に談話室にいた生徒がこぞって近づいてきた。
その中にハリーやロン、ハーマイオニーの姿を見つけたが、はそれ所ではない。早く部屋に戻らなければ一体誰に見つかる事やら…。
バン!!
「!?」
太った婦人が荒々しく開く音に談話室にいた全員がギョッと身を固くした。
カツン!カツン!!と荒々しい足音がしてスネイプが姿を現す。
「あ……」
「馬鹿者が!!!」
「!!」
は大音量で頭ごなしに怒鳴られてビクッと小さく震えた。の高校の生活指導の先生だってこんな怒り方はしない。
憤怒の表情のスネイプからを守ろうとハリー達が立ちはだかった。
「彼女は悪くありません」
「そうですフレッド達が無理に…」
「諸君の話など聞いておらん!ミス.、来たまえ!」
「あ…」
スネイプはの手を捕まえると問答無用で部屋へと連れ戻した。
(あ…昼食……2人分?)
を椅子に座らせるとスネイプが向かい側に座る。そこで初めてスネイプがと昼食をとる為に
待っていてくれたことに気がついては酷く申し訳なく感じた。心配かけて怒らせて…馬鹿な事をしている。
「あの…」
「そうそう、もう君には必要の無い事かも知れぬがダンブルドアが『やはり部屋にばかりいては退屈だろうし少しなら出歩いて生徒とも接触して構わない』と言っていた」
「う…その……」
「食べなさい」
「……はい」
それ以上何か言う事を許さないかのような口調には俯きながら食事をした。
あんまり進まなかった食事も終えて紅茶を飲んでいるとスネイプがようやく口を開いた。
「医者にでも…なるのかね」
「え?」
その口調が酷く柔らかい事に驚く。
「医学書などそう必要なものではあるまい」
「…母が、看護婦なんです………あぁぁっ!!」
そこでは物凄く大事な事に気がついた。突然絶叫して立ち上がったにスネイプが目を丸くする。
「どうしたのかね」
「健二と正樹と駿一のご飯!!!あぁぁ、どうしよう…食べさせなきゃあの子達餓死しちゃう!!」
「ケン…何?落ち着きたまえ」
「あの子達を台所になんか立たせたら……火事決定!!!」
あわわわ、あわわわ、と頭を抱えてひたすら慌てるに呆れていたスネイプだが、そのうち妙に可笑しくなって来た。
どうしてこの少女はこんなにも自分の前で素直でいられるのか。
「え……」
突然くつくつと笑い始めたスネイプには驚いて動きを止めた。笑っている…あのスネイプが。その事に何故か鼓動が早くなる。
僅かに笑いを引っ込めたスネイプが、それでもまだ微笑みながら言った。
「安心したまえ。君はここに来たときと同じ時間に戻るはずだ。向こうでのタイムラグは無いに等しい」
「あ…そうなんだ、よか……くない!!」
それも駄目っぽい!!とまた頭を抱えるに今度こそあきれ返る。
「今度は何かね」
「私…電車一本乗りそこなっちゃって特売に行けなくなっちゃったの!!」
「は?とく…何?」
「スーパーの特売!バカ食いする弟達にお腹一杯食べさせようと思ったらスーパーの特売は外せないの!!もう…私のお馬鹿ぁ〜」
頭を抱えたままでしゃがみ込むの頭をスネイプはポンポンと撫でた。
実はひっそりと気になっていた『健二』『正樹』『駿一』という名前が弟のものであった事に安堵する。
らしく無い自分にスネイプは苦笑した。
「とにかく、弟達が餓死している心配だけはなくなったのだから、それで良しとしないかね?」
「…そう…そ、ですよね……うん!そうします」
「それは良かった。ではお茶のおかわりでも?」
「あ!ありがとうございます」
こうしては意外と優しいスネイプとの昼食を優雅に過ごした。
「ねぇ聞いた?あの噂…」
「あぁ、あれね。馬鹿馬鹿しいの一言じゃない?」
「でも…さぁ……」
「?」
夕食前、勉強を一段落させたは廊下を散策していた。ダンブルドアが目立たないようにと制服を用意してくれたので、生徒とすれ違っても誰も怪しまない。
(噂…?なんだろ)
前を行く女生徒2人のヒソヒソ話には耳をそばだてた。普段ホグワーツの生徒がどんな話をしているのか凄く興味がある。
(盗み聞き…ゴメンね)
「真似妖怪との対決の話聞いたでしょ?ほら、水晶球みたいのに変身したって」
「馬鹿ね!きっと占いが怖いのよ」
「でも……本当はどうなのかしら?ルーピン先生が狼人間って噂」
「!!」
は思わずその場で足を止めていた。ハリポタの小説の話は覚えていない。
覚えていないが、ルーピンの正体についてばれるような兆候はなかった筈…。
(どうして…)
は物凄い不安に襲われてそのまま真っ直ぐ部屋へと戻って行った。
「やぁ、」
「あ…」
部屋の前にルーピンが立っていた。ニコリと微笑むルーピンにさっきの女生徒の話を思い出して表情を曇らせる。
それに気付いたルーピンが首を傾げた。
「夕食を一緒にと思ったんだけど……どうかした?」
「………いえ、何でも…」
「そうかい?具合が悪いなら…」
心配してくれるルーピンに申し訳なくて、は無理に笑顔を作って見せた。
「大丈夫です!これでも元気と健康だけがとりえですから!!」
「そう…それならいいけど……」
「さ、私そのへん徘徊してきたのでお腹ペコペコです!ご飯にしましょう」
は有無を言わさぬ勢いでルーピンを部屋の中に引き入れた。
『ねぇ、聞いた?あの噂…』
『ルーピン先生が狼人間だっていう噂……』
「………」
その夜、はまんじりともしないまま、長い事ベッドに横になっていた。