ボーンと壁時計が時を告げ、桂は本から視線を上げた。
もう一度壁時計が鳴り、パタンと静かに本を閉じる。
それと同時に肩から滑り落ちた自慢なのであろう、手入れが行き届いた漆黒の髪を些か鬱陶し気に背中へと払うと、
ゆっくりと腰を上げ隣室へと続く襖へと手をかけた。







「エリザベス、そろそろ手掛けようか。
・・・エリザベス?」
































+歪な五芒星〜姿なき影〜+
























ちゃんこれおまけしとくよ!」

「わあっおじさんありがとうっ!」


ニコニコ顔で紙袋に威勢よくオレンジを入れる八百屋のおやじに、ニパアとの顔が綻んだ。
江戸に腰を落ち着けてから早一ヶ月、はすっかりと町に溶け込んでいた。
妖の存在は幕府の箝口令が厳しく敷かれているため、多くの人々はがその存在は知らぬものの、
ハイテク時代になった今でも人々は不可解な事が起きればいまだに妖怪の仕業かと
訝しむ者も少なからずおり。
自然とを頼る者が増え、今でははちょっとした町の人気者になっていた。
今目の前でニカニカと紙袋を渡す八百屋の店主もに依頼をした一人だ。


紙袋を大事に抱えながら、帰路へと足を向ける。
と、小さな路地裏へと入る角では足を止めた。
視線を感じる、だがそれは敵意があるものではなく、何か訴えかけるような眼差し。
しばしその場でんーと唸ると視線が感じる路地へと踵を向けた。


「あ。桂さんでしたか」

古びた箱の影に見いだした人影に、はふにゃりと笑顔を桂に向けた。
そんなに小さな笑みを浮かべると、組んでいた腕をとき、ゆっくりとの前に立つ。


「流石は陰陽師だな。極力気配を殺してたのだが・・」


「そうなんですか?
視線がすっごい突き刺さっていましたけど」


「そっそうか?;」


「まあ、普通の人にはわかりませんが。・・っと私にご用ですか?」


「あ・・あぁそうなんだ」










エリザベスの様子がどうもおかしいのだ



















「何かいる?」


「ああ、最初に気づいたのはエリザベスでな。
エリザベスはかなり繊細で性格故、何かが家中にいると寝込んでしまったのだ。
そんな話を聞いてから俺も微かだが何かの気配を感じ始めた。
だが姿は見えんし、何かしでかすというわけでもない。
放っておこうかと思ったんだが、
エリザベスが恐がったままなんでな、こうして殿の力を借りようと思ったのだ」



桂が隠れ家に使っているという家に向かう間に、桂はことの成り行きを話した。
殺気や異様な気配ならば迷いなくに持ちかけたのだが、
そういった気配がまったくないので、今まで様子を見ていたという。
桂の話に耳を傾けながら、はんーと小さく唸って、人差し指を唇にあてた。


「もしかしたら雑鬼達かな・・まあ、兎に角見てみましょう」



そう頷いてみせるに桂も嬉しそうに頷いた。
案内された家には思わず目を丸くした。
門をくぐると目の前にはおよそ身を隠しているとは思えない、立派な母屋。
裏には緑豊かな庭が広がっていて、そこではあることに気づく。


「この家・・電気が通ってない?」


電気。
天人らが地球に来る前まではそんなものは存在していなかった。
天人の介入により地球も著しく発展。
長屋にも電気は通っているくらいなのに、桂の家は一つもないのだ。
今では電気が通らない家屋はとても珍しいことだろう。
きょときょとと家内を見渡すに桂は特に気にした様子もなく頷いた。


「ん?ああ・・ここはあくまで隠れ家として使っている場所でな。
志士達との会合場所はまた別で電気系統類は全てそちらにおいてあるのだ。
俺はあまり電気というものが好きになれなくてな。
が、攘夷活動には電気は不可欠。
せめて身を休める処だけでも居心地のいいものにしたいと通しておらんのだ。」


廊下を歩きながら腕を組む桂の後ろに続きながらも、
はすでにこの家に棲まう気配を感じとっていた。
十数もの視線が遠慮なくに注がれている。
ひそひそと話す声までも聞こえてきて、おもわずは小さく笑った。


「この部屋だ。一番強く何かを感じるのは」

そう桂が立ち止まったのは庭に面した一室。
青々とした木々に、決して手入れが行き届いているとはいえないが、
ほどよくまとまっている自然のままに放置され、伸びている草花が生き生きと風に揺れていた。
純和庭園のようにまた西洋庭園で見られるシンメトリーのようにきっちりと整頓された庭ではなく、
どこかあるがままを思わせる、しかし見るものを落ち着かせる庭。
そんな庭を一望できる部屋の障子を開けると、何かが一斉に隠れる気配がした。
それは桂も感じとったらしく、
しばらく固まった後へと振り返る。


「という具合に、何か気配は感じるのだ」


隣の部屋がエリザベスの部屋だと襖続きの取っ手に手をかけ開けば、
そこには少し衰弱したようなエリザベスが寝込んでいた。


「あらま・・エリー相当まいってるみたい」

「ああ・・頼む払ってくれないか?」


そう桂に頭を下げられるも、は少し困ったように顔を顰めた。
そんなに桂は怪訝そうに顔を上げる。

・・殿?」

「んー・・払うのは簡単なんだけど・・ここにいる子達もしかしたら・・」


そう口開きながら静かにエリザベスが寝ている布団の横へと腰を下ろす。
気配で感じたのだろうか、うっすらと目を開けたエリザベスがを捉えた。
「お話してもいい?」と
にっこり笑うにこくりと頷くと、のろのろと上体を起こす。
それを見やりながら桂にも腰を下ろすように促すと、ふむと小さく頷いた後、の横へ腰を下ろした。
二人の視線がに向けられると、懐から護符を取り出しながら口を開く。


「まずこの家にいるのは、人に危害を与えないとても力の弱い妖です。
この手の妖は電気を嫌います。雷獣と呼ばれる電気を好む妖もいますが、
力の弱いものは放電によって消えてしまうこともあるほどとても弱いんです。
天人の介入により、棲む場所を追われたのは人以外にもいるの。
そしてこの妖はあまり人の手が入っていない場所を好みます。
一見したところこの家は電気が通っておらず、人の出入りもあまりない感じがしました。
それに庭も手入れを入れ過ぎず、また放置しっぱなしでもない。
・・まさに雑鬼達が好みそうな場所なんです。」


「雑鬼?」



首を傾げる桂にはコクンと頷くと、つぃっと天井に視線を向けた。



「お前達出ておいで、我は出雲国の陰陽師・なり。
お前達に危害を加えない」



の言葉に桂とエリザベスも天井を見上げた。


すると



「やっぱり陰陽師サマだー」

「出雲国の姫巫女サマだー」

「消さない本当に消さない?」



カタンと一枚の天板がはずれ、甲高い声が降り注いできた。

再び「苛めない?」と少し不安気な声にが「苛めないよ」と頷けば「わーい」と声があがり、
ぴょーんと何かが降ってきた。
いや天井だけからではない、畳が少し上がったかと思うとその隙間からも何か小さい動物が出てきた。
ビクッとエリザベスの体が強張るが、
それを落ち着かせるようにはエリザベスの手を握ってやっていた。
平静だった桂も些か驚いたように目を見張る。

現れたのは頭に角が生えた・・鬼と呼ばれるものや、トカゲや小猿のようなもの。
だがそれらはどこは実在する動物とはどこか違っていて。
ワラワラと現れた雑鬼達の数は忙しく動き回っているせいか、その数は把握できないが
30はいるだろうかそれが決して広いとはいえないが部屋をかけ回り、
やがてや桂。エリザベスを囲むようにおとなしくなった。
好奇心旺盛な目で見上げてくる雑鬼に桂は息を飲む。


「桂だー、じょーいししー」

「じょーいのえいゆうだー」




遠慮なく桂の膝によじ登り、くるんとした目を好奇心旺盛に輝かせながら
桂の顔を覗きこむ雑鬼たち。
多くの雑鬼達に囲まれ困ったように桂がへと視線を移せば、
クスリと笑みを返す。


殿・・これは・・」


「そう、この子達が雑鬼。人に危害を与えない力の弱いもので、
自然に溶け込みながら生きている妖よ」



そう口開きながら、自分の膝上に座っている小猿のような雑鬼を抱き上げると、
スッとエリザベスへと差し出した。ビクンッと肩を揺らし怖がるエリザベスに
は小さく笑う。


「エリー大丈夫、怖くない。この子達はただエリーと仲良くしたいだけだよ」


「エリー?エリーっていうのー?」


に抱き上げられた小猿が興味津々にエリザベスを見やる。
に促されて恐る恐る手を伸ばすエリザベスにそっと小猿をだっこさせてやれば
小猿は嬉しそうにエリザベスにしがみついた。
一瞬固まるエリザベスだが、小猿はにこにことエリザベスに擦り寄っている。
それをしばらく呆然と見つめていたが、やがて安心してきたのか、そっと小猿の頭を撫で始めた
エリザベスに桂は目丸くし、は嬉しそうに微笑んだ。





「お前達、どうして此処に・・こんなにたくさんいるの?」


器用に二本立ちしている蛙のような雑鬼に聞けば、蛙は少し悲しそうに俯いた。



「天人がきて、俺たちの住むところどんどんなくなっていった。
みんな電気が通って、俺たち住めない。でもここは電気が通ってなくて
過ごしやすいからどんどん住むところ追われた仲間やってきた」


そう言うと蛙は桂を見上げた。



「でも陰陽師サマきた。俺たち追い出されるんだろ?」


蛙の言葉に周りにいた雑鬼達がぎくりと肩を揺らし、わらわらと身を寄せ合った。




「追い出されるのー?」

「ほかどこに行けばいいのー?」

「やだよー」

「追い出さないでよー」


うるると大きな目をやらす雑鬼達にちらりとは桂を見やった。
桂は何か思案しているように腕を組んでいたが、やがてエリザベスへと顔を上げてみせる。
桂を視線が合ったエリザベスの腕には先ほど小猿に加えて栗鼠やムササビのような雑鬼達。
まっすぐに桂を見つめて頷くエリザベスに、桂も頷く。



「一つ、約束をしてくれるなら追い出さないし、食事の面倒も見よう」


「桂さん?」



きょとんと首を傾げるに、雑鬼達の不安そうな視線が桂に集中する。






「エリザベスと二人だけではこの家は広すぎる。掃除を手伝ってくれたら
大変嬉しいのだが」




「そーじ?」


「あぁ」


「廊下とかお風呂とか階段をキレーにすればいいの?」


「あぁ」


「そーじすれば追い出さない?住んでいいの?」


「もちろんだ」


「ごはんもくれるの?」


「約束しよう」



「「「そーじするー!!」」」



「では決まりだな」


わーいと雑鬼達の大歓声があがり、わきゃわきゃと走りまわる。
擦り寄られているエリザベスもニコニコと雑鬼達を抱き寄せていて。



「桂さんありがとうございます」


「いや・・礼を言うのは俺の方だ。天人の介入により被害を被ったのは
人間だけはないということなのだな。彼ら力なき者のためにも国を見直さなければな」


そう優しく笑う桂に、も笑った。
































サマー」


「待ってー」



桂の家を後にしたはのんびりと家に向かっていた。
ふと頭上から声が聞こえて見上げれば、追いかけてきたのだろうか
塀の上に二匹の雑鬼が息を切らしていて。




「どうしたの?」



不思議そうに首を傾げれば、雑鬼はぴょーんとの前に降り立つと
ちょっと落ち着きなさそうにしている。




「あのね、陰陽師サマに知らせておこうと思って」

「ほかに陰陽師サマ見なくなっちゃったし」



「うん・・なあに?」




「最近エドに嫌な奴がきたんだ」


「とてもイヤな空気持ってるの。押しつぶされそうになるくらいの」


「うん・・最近力の強い妖が増えてるからね・・」


「ううん!!違うちがうー」



「あなた達も気をつけるのよ?強い妖は雑鬼達も食べるんだから」と諭せば
その言葉に恐怖したのか、ビクビクと震えながらもぶんぶんと首を横に振ってみせる。


「妖じゃないよー!!妖なら俺たちだってわかるもん!!」

「もっとこう違うものー。でもおいら達今まで感じたことがない気配なのー」




陰陽師サマ気をつけて、そいつは人とも妖ともそして天人とも違う嫌な空気を持ってるんだ





桂の家へと戻っていく雑鬼達を見送りながら、は心の中に僅かだが
小さい重石が転がったような感覚を覚えた。




「人でもない、妖でもない・・そして天人でもない存在・・・」





再び家路へと足を伸ばすが、どこかの顔は晴れなかった。












初桂さん。桂さんの口調難しい・・いや皆難しいんだけど・・
2007年8月10日執筆