「前橋 美佐枝はペットボトルにオリジナルのハーブティーを入れて
常に持ち歩いていたそうです」


温室近くの現場は紅葉を過ぎ、舞い落ち始めた木々に囲まれていた。
発見当時、まるで死体を隠し去るように風に舞った落ち葉が何枚も美佐枝の体に乗っていたという。
 伊丹と芹沢はの言葉に耳を傾けながら、黄色いテープに仕切られた今はただの地面を見やった。
木枯らしが駆け抜けると同時に、前橋 美佐枝の姿がぼんやりと落ち葉で埋め尽くされた冷たい地面に浮かび上がる。
一晩中、冷たい風と暗闇に晒され、希望に満ち溢れていた少女の無念さが脳裏へ響いてくるようで、
伊丹はいたたまれない気持ちになり、小さく頭を振った。
視線を遠くへと移せば、遠巻きに学生達が刑事達の来校を興味ありげに様子を伺っている。
そんな光景にまた小さく溜息をつくと、どうやらが察したらしく、「では」と話を切り替えた。


「紛失された植物の温室も見てみますか?」

「あぁ。そうだな」


視界の隅で芹沢が寒そうに手を擦り合わせているのが見え、伊丹はへと踵を返した。
好奇な視線に晒されながらの捜査はどうもやりづらいし、自分もこの寒さは少し堪える。
の申し出にありがたさを感じながら、三人は温室へと足を向けた。


〜!!」


が温室のドアに手をかけたその時だった。
背後から大きな声がして、の手がピシリと固まる。
伊丹と芹沢が声のした後方へと振り返れば、この大学の生徒であろう一人の少女がこちらに向かって走ってきた。
何事かと顔を見合わせる伊丹と芹沢の横で、さも疲れたように深い溜息を吐き出し、額に手をあてる


「出たよ・・」


のその呟きに、伊丹と芹沢さらに不思議そうに首を傾げた。
そうこうしているうちにも、少女は伊丹達の元へ走りつき息を整える。
ショートカットの黒髪に明るそうな雰囲気の少女だ。少女は伊丹と芹沢の間をすり抜けると、
の腕に抱きついた。


「やっと現場に出てきたわねっ!!!やっぱ寺井君じゃ押し弱すぎだよ!!」

「・・あー寺かわいそ」


少女の畳み掛ける口調に、は遠くを見つめながら無表情でポツリと呟いた。




(寺井・・っていったら、さっきの若い刑事か・・)


2人のやりとりに一瞬驚きが隠せなかった伊丹だが、寺井というさきほどの捜査会議で、
そしてに叱咤激励されていた若い刑事を脳裏に思い浮かべた。
目の前の少女が何者なのかは知らないが、ふとこの少女が今回の事件は自殺ではないと言い張った本人ではないかと感じとる。
よく見ればよりは背は低いが、それでも長身の域に入る身長に意志の強そうな瞳。
髪型は正反対だが、黒曜石のような艶やかな黒髪の少女に伊丹はふとある答えが浮かび上がった。


刑事、もしかして妹さんか?」


伊丹の考察は一瞬の内に終わり、さも面倒くさそうに腕に絡みつく少女を引き剥がそうと
しているへと打ち出した答えを投げかければ、一瞬、は目を見開き伊丹を見つめた。
かなり驚いたようだ。それはどうやら少女も同じらしく、ポケーと伊丹を見つめている。
伊丹の横で芹沢は「え?」と声をあげ、と少女を交互に見つめた。


「え・・あ、はい。妹です・・一応」

「ちょっ!一応って何よう!」

「そして、自殺ではないと何度も警察に訪れては抗議した被害者の友人。違うか?」

「「・・・・・・」」


今度こそ2人は完璧に固まってしまった。ジーッと見つめてくる2人の視線が少し居心地悪い。
目を逸らそうと咳払いをした瞬間、の腕に抱きついていた妹が「すげー!」と声をあげた。
あまりにも唐突に声をあげたので、と伊丹そして芹沢はビクリと肩を揺らす。


「すごいっすごいよ!おじさん!!何、新しく赴任してきた刑事さん?!」

「ちょっ!!!なんてこというの!!」

「お・・じさん;・・か俺?」


ガバッとの妹-の口をふさぐ姉-に、伊丹は少しショックを受け、
隣にいた芹沢に返答を求めれば、「はは・・」と曖昧な笑みを浮かべた芹沢がポンポンと伊丹の肩を叩いた。
その動作は遠巻きに肯定しているものだろう。伊丹は苦々しく芹沢を睨みつけると、
「だから今回は嫌だといったのに!」との頭をガシッと押さえつけているへと視線を移した。
荻井杉署を出る前に目の当たりにした、が刑事課長に食ってかかっている光景の理由がおそらくこれだろう。
被害者の友人が自分の妹ということはいろいろ私情が絡むだろうし、捜査もしづらい。
きっとそれを見越しては自分から現場に出ることを拒んだ、そんなところだろうか。
「きゅ〜っ!!」と呻き声をあげ、きつく目を閉じながら自分の腕を除けようとするを一瞥すると、
は深々と伊丹に頭を下げた。


「申し訳ございません!妹が失礼なことをっ!!」

「い・・いや・・いいから;」

たしかに自分はこの少女からすれば、おじさんといわれる年齢かもしれないし、
大して気にもしてない。慌てての頭を上げさせれば、は申し訳なさそうに
また軽く頭を下げると、厳しくを睨みつけた。


!!あんたも謝る!!こちらは本庁からいらっしゃった刑事さんなんだよ?!」

「おー痛ぁ」と頭を擦っていたいたは、の言葉にぴたりとその動きを止め、
きょとんとを見上げた。


「きゅ・・本庁?」

「そうっ!」

「警視庁?」

「そうっ」

「捜査一課?」

「くどいっ」


一言一言口を開くたびに、の瞳に煌々と光が灯っていくのを読み取った
嫌な予感を覚え、の上昇する気持ちを押さえつけるようにまた頭を押さえつけたが、
の高ぶった興奮はもはや抑えきれなかったようだ。
の腕を振りほどくと、バッと伊丹と芹沢の前に躍り出る。



「うわっ!モノホンの警視庁の刑事!!ねっ握手して握手!!」

!」


驚く芹沢の手を取り、ブンブンと力任せに握手するは慌てて声をあげた。
ガクガクと頭を揺らし、されるがままの芹沢の姿にを抑えつける。


「いい加減にしな!」

「だって!警視庁だよっ警視庁!本店の刑事さん!!支店じゃないんだよ?
十津川さんだよ?!亀さんなんだよ?!
それに捜一っていったら、トリオ・ザ・捜一じゃない!興奮するところだろっここは!」

「テレビと一緒にすんな!」


これが兄弟喧嘩というやつだろうか。伊丹と芹沢はチラリと顔を見合わせると、
目の前の姉妹を見やった。おそらく妹のは刑事ドラマが好きなのだろう。
伊丹はいつだか非番の日に何気なくつけたテレビにそんな刑事ドラマがあったことを
ぼんやりと思い出した。
「警察手帳見せて」と目を輝かせるに、とうとうのゲンコツがの頭に炸裂し、
ようやくは渋々ながらもおとなしくなった。
 落ち着いたところで改めて姉のから妹のを紹介される。
伊丹の推測どおり、今回の事件は自殺ではないと荻井杉署に駆け込んだ友人はだった。
は殺された前橋 美佐枝と同じ園芸科の生徒で、美佐枝とは大の仲良しだったという。
園芸科の生徒ということもあり、また刑事の妹という信頼性から温室の案内をに頼むことにした。
それにからもいろいろ話を聞きだしたい。
そう申し出た伊丹の言葉に、は一瞬顔を顰めてを見やったが、先ほどとは打って変わって
真剣な表情で頷いたに、は何も口出ししなかった。
友人の死はにとってどれだけ辛くショックであったか、の悲しんでいた姿をが一番よく知っていたからだ。
 が温室のドアを開けると同時に、入り口の右隣に管理人室がありそこから50歳代の小柄な
女性が顔を覗かせた。


「あぁ、ちゃんね」

「うんっ!管理人さん、刑事さん達に温室を案内してもいいかな?」


刑事と聞いて、管理人の表情が一瞬強張るのを伊丹達は素早く見た。
スッとへと目配りすると、は小さく頷きジャケットの内ポケットから警察手帳を
取り出し用件を手短に説明する。
紛失された植物を見たいと申し出れば、管理人はやっと把握したようで、どうぞと頭を下げた。


「ここの温室は毒草も扱っているから、入り口に管理人室を設けて入室する生徒や教授を
ちゃんとチェックするんだよ」

先頭を歩きながら植物をみやるの言葉に、伊丹はあとで管理人から話を聞く必要があるなと
芹沢に小さく目配りをした。
やがて一番奥へ案内され、毒草とかかれた一角へと足を踏み入れる。
そこは他の植物とは明らかに異なるように、仕切りが設けられ、「毒草」と黄色い看板に
黒く太い字が警告文とともに立てかけられていた。
それらの植物を見やるが、あまり植物には詳しくない伊丹には、ほかの無毒性の植物と全く区別がつかない。
唯一判るとすれば、過去に扱った事件で犯行に使われた、トリカブトやべラドンナくらいだろうか。
「無暗に触らないでね」と少し声を固くするに、伊丹と芹沢は腕をぴったりと体にくっつけた。
引き抜かれていた鉢はすでにそこにはなかった。鑑識が証拠品として持って行ったのだ。
伊丹と芹沢はそこで始めてクリスマスローズと対面した。捜査会議で見た写真のものとは随分と印象が違って見える。
可憐な白い花をつける植物だ。これに全草にかけて毒があるのかと思うと、思わず背筋が寒くなる。


「あ、竹野先輩!」

驚いたようなの声に、伊丹達はクリスマスローズから視線をあげた。
の視線の先には、一人の女子大生の姿。
一本の乱れもないほどに髪をぴったりと結い上げ、フレームの細い眼鏡はすこし冷たそうな印象を与えた。
しかし、に呼ばれると竹野という生徒は、顔をあげをみとめると小さくも穏やかな微笑を浮かべ、
静かにこちらへと足を向けた。


「あら、さん。珍しいわねここに来るなんて」

「えぇ・・まあ」



後でに聞いた話なのだが、は事件が起きてからこの温室には近寄らなかったらしい。
友人の死が受け入れられず、また友人の生を奪った植物に嫌悪感が高まり、自分がその植物を目の当たりにしたら
その鉢を一つ残らず壊してしまいそうだと、事件が起こった2〜3日後くらいに打ち明けてくれたという。
竹野と何やら話し始めたに、伊丹は「ありがとう」と礼を言うと、三人は管理人に幾つか話を聞き車へと戻った。
 再び運転をに委ね、深々とシートに体を沈める。深く息を吐き出すと流れていく街路樹を眺めた。
金色に輝くイチョウの葉がヒラヒラと舞っている。
芹沢とが何か話をしているのをぼんやりと聞きながら、伊丹はさきほどのクリスマスローズを見つめる
憎しみにも似た、の姿を思い返していた。


















微妙なところで区切ってごめんなさい;