夏の暑さも遠くなり、肌を突き刺す風に痛さを感じる秋の午後。
寒さから逃げるように、一人の男が足早に日比谷公園を歩いていていた。
長身痩躯、不機嫌そうな顔つきの彼は周囲の目からはとても苛立っているように見えるが、
これがいつもどおりの表情だ。この公園を通り抜ければ、目的の場所まですぐそこ。
色が変わり始めた木々の葉の向こうにはやがて目指す警視庁が姿が現すだろう。
 その男、伊丹憲一は自分でも気づかないうちに溜息を零すと、少しばかり歩調を緩めた。
警視庁・捜査一課の刑事である彼は、最近湧き水のように起こる事件に少しばかり気が滅入っていた。
やっとの思いで獲た非番は、事件が起きれば容赦なく潰される。
といっても、そのことに対して特に不満があるわけではない。刑事という職に就いた時に覚悟していたことであり、
仕方のないことだと思っている。同僚に対して不満があるわけでもない。
では何が原因か。

 それは所轄と呼ばれる地元警察とのいざこざにあった。
湧き水の如く起こる事件には、地域ごとに管轄する地元警察署がある。
事件が起これば管轄地域の刑事らが捜査に乗り出し、糸口がつかめないと
すぐさま捜査本部が立ち上げられ、警視庁の刑事が指揮をとる。
土地感がない、直後の現場を知らない彼らに地元刑事達は不満を燻らせ、
また警視庁の刑事たちに纏わりついている、どこか高飛車な空気にさらに不満を募らせる。
そうなると捜査も思うようにすすまないわけで。
もちろん全ての刑事がそうというわけではない。伊丹はむしろその逆で、同行することになる
地元刑事からじっくりといきさつを聞き、自分なりにその地域を把握し相手の意見にも
しっかりと耳を傾ける。その誠実な態度は相手の地元刑事も好感を与えるが、
彼とは組まない刑事たちから見れば、他の警視庁からきた刑事となんら変わらないようにしか見えない。
事件そのものよりも、伊丹は刑事たちの間に生じるいざこざに気が滅入っていた。

 木の葉のヴェールの向こう側に警視庁が見えてくると、急に足取りが重くなり、
伊丹は視界に入った近くのベンチに腰を下ろした。これが登校拒否ならぬ帰庁拒否かと苦笑いを零す。
ぼんやりと空へと視線を向ければ、見事な秋空が広がっていた。
このままどこか遠くへ行きたいと、本気で現実逃避をしてみたくなる。
そう思うと同時に胸ポケットの携帯が鳴り、小さく舌打ちをして取り出す。
思想の自由もできないのかと心の中で毒づきながら、携帯を耳に当てた。




(さぼりだったら、お土産買ってきてくださいねv)

「お前、帰ったら速攻殴る」


第一声に響いた後輩の言葉に、一瞬こいつには透視能力があるのではと寒くなった。
さぼりでないが、警視庁へ帰る足を止め、ベンチに座り現実逃避をし始めていたあたり、
いろいろな意味でさぼりが生じているであろう。
どこか楽しげな後輩・芹沢の表情を脳裏に思い浮かべると同時に額に青筋が浮き出し、
伊丹は重い腰を上げ、再び足を進めながら続きを促す。



「で、なんだよ。」


(え?あぁ、そうそう。すぐ戻ってきてください。別の事件が上がって所轄に
捜査本部が立ち上がりました。)


「・・・・・・・・・」


(あ、今思いっきり嫌な顔しましたね?)

「他の班にしろよ・・・第五のダイブツ捜査してーって煮えたぎってただろが」


九つある捜査班のうちの第五班にいる、大仏様似ということからダイブツとあだ名で親しまれている
大柄の男を思い浮かべながら、そっちの班を推薦しろと悪態づけば、伊丹を気遣うような苦笑いが返ってくる。


(ははーうちになっちゃいましたーvとにかく戻ってきてください。詳細はそれからで)


「わーった」


携帯をきると同時に深く零れた溜息は、これからまた生じるであろう地元刑事達との衝突を
予想してのものだ。つい先日まで、品川区で起きた事件に携わり、最後の最後まで地元刑事達と
しこりを残す羽目になった。今回もまた同じことを繰り返すのかと思うと、このまま踵を返したくなる。
伊丹は一度警視庁を睨みつけると、足早に公園を抜けていった。









「杉並区の大学構内で毒物による他殺体があがった。被害者は同大学の生徒だそうだ。」


 伊丹達の班長から手短ないきさつと聞くと、伊丹と三浦そして芹沢はすぐさま捜査本部が
おかれた荻井杉警察署へと向かった。
詳細は渡された資料と会議で頼むと、伊丹達の班長は伊丹の顔色を伺うように彼らを送り出した。
運転を芹沢に委ね、伊丹と三浦は車の中で資料を開きながら事件の内容を把握する。

 事件が起きたのはG大学構内の薬草園そば。
被害者は園芸科の生徒の前橋 美佐枝。死因は毒物によるショック死で、
死体の傍らにあったペットボトルから同毒が検出されたので、自殺の疑いも出たが
生前の前橋 美佐枝の様子や、ペットボトルから多くの指紋が発見されたことにより、
他殺の線が濃厚になってきたという。
発見時刻は早朝5時半、大学の用務員が発見した。



 「前橋 美佐枝は「新種の植物の交配」という論文が注目され、それを月末に開かれるシンポジウムに
発表することになっていました。周囲にも研究の成果が報われると大変喜んでいたということです。
そこからみても自殺の線は低く、殺人として捜査をすすめています」

 荻井杉警察署の若い刑事が、やや緊張気味にホワイトボードの前で説明している。
ホワイトボードには、前橋美佐枝の写真、遺留品のペットボトルや本などの写真が貼られ、
交友関係や家族構成などが書き込まれていた。
 
荻井杉警察署に着いた彼らを迎えていたのは、伊丹が想像してたとおりの地元刑事達の白い目だった。
「形だけのエリート」「所轄を運転手としか思っていない」
さまざまな嫌味を受けて蓄積した肝は、それだけでは怯むことをしない。
何もなかったように会議室へ向かい腰を下ろす。
そこでも突き刺さる嫌な視線を堪え、改めて資料に目を通しているうちに会議が始まった。
会議が始まればそんな視線もなくなり、誰もが事件へと集中する。

 若い刑事がパイプ椅子に腰を下ろすと、荻井杉警察署の刑事課長は資料に目を落としながら
「次」と呟く。白髪交じりの痩男だが、そのひ弱そうな体つきとは逆に鋭い目つきをしている。
おそらくかなりのやり手だろうと、伊丹はそっと相手を考察した。



「死因について・・・・・っと、これはか」

「はい」


左隣の三浦が捜査資料のページを捲ったことに気づき、伊丹も慌ててページを捲る。
しかし、響いてきた声に伊丹は思わず捜査資料から目を反らした。



「荻井杉警察署・刑事課のです」



 ホワイトボードの前に立ったと呼ばれた刑事は、簡単に挨拶をすると、
ホワイトボードをひっくり返し、裏面を示した。
右隣の芹沢が息を飲んだのを伊丹は聞いた。それもそのはずだ
今、自分達の前に立ち説明をしているのは、女の刑事だからだ。別に女性の刑事が珍しいわけではない。
彼らを引きつけたのはその容姿はもちろんのこと、彼女から滲み出るオーラのせいだろう。
女性にしては長身の枠に入るであろうしなやかな体は、黒のリクルートスーツできめられ、
長い髪は簡単にポニーテールにされている。
意志が強そうな瞳と彼女から漂うオーラに伊丹達は妙に引き付けられた。

 はペットボトルの写真を差し締めながら、しっかりとした口調で説明していく。
「ペットボトルに混入されていた毒ですが、クリスマスローズという毒性の植物でした。
ヨーロッパ南東部原産の多年草で、鑑賞用の植物ですが植物全体に毒を持っています。
植物の汁が皮膚などにつくと炎症起こし、特に根は猛毒です。
ペットボトルと体内から検出された毒物は一致、鑑識によると、不純物が多量に混ざっていたことから
専門家によるものではないと判明。素人による混入だと思われます。
死体が発見された近くにある、園芸科の温室でも栽培していて、
5鉢あるうちの1鉢が抜き取られていました。おそらくこれを使用したものだと思います。
今、結果を待っているところです。」


伊丹達の視線も、という刑事から捜査資料へと戻され、彼女の言葉にいくつか
資料へとボールペンで走り書きをする。
それと同時に頭の中では無数に散らばっている事件のピースが、徐々に枠組みを組み始めていた。
の説明が終わると、捜査の振りわけへと移っていく。
会議が終わると同時に、伊丹と芹沢は警視庁から来た指揮官に呼ばれ、ホワイトボード前へと向かった。
荻井杉警察署の刑事課長となにやら頷き合うと、刑事課長は伊丹達の後ろの方へ声をかける。


。ちょっといいか?」


さり気無く振り返ると、の前に説明をしていた若い刑事と何か話し込んでいたが、
片手を上げて答え、こちらへと歩み寄ってきた。


「はい、なんですか?」


颯爽と歩いてくる姿は刑事というよりも、モデルに近い。
捜査資料をA4サイズのクリアファイルに入れて、それを肩口でトントンと叩く仕草も絵になる。


は伊丹刑事と芹沢刑事に同行して捜査にあたってくれ」

「え・・ちょっ。私毒物の捜査があるんですけど」


驚きに僅かに目を見開き、肩口に置かれたファイルの動きが止まる。
やや歯向かうように自分の上司を見つめるの横顔を、伊丹と芹沢は横目でそっと伺った。


「毒物は寺井と警視庁の三浦刑事に引き継いでもらうことになったから、お前は
捜査に入ってくれ」


「うそおっ!寺が引き継ぐの?!」


バッと後ろを向いたにつられて伊丹と芹沢も振り返れば、さきほどの若い刑事が、
の鋭い睨みに気負けしながら、控えめに手を振っていた。


「っ・・・寺っ!しっかりみっちりやるのよ」

「うっ・・はい;」

どうやら先輩後輩の仲なのだろう。念を押すように寺井という刑事にいくつかの捜査資料を
渡すと、は伊丹と芹沢へと振り返った。

















「自殺の線が薄くなったのも、ガイシャの友人が執拗に警察に訪れては抗議したこともあるんですよ」


 が運転する、ブルバード・セダンの後部座席に座りながら、
伊丹と芹沢は、の今までの状況を説明してもらっていた。
軽やかな運転さばきに伊丹は深くシートに体を預ける。今度も生じるだろうと思っていた
わだかまりだが、という刑事は最初こそは受け持っていた捜査から外されたことに不満を
隠し切れないでいたようだが、彼らと署を出る頃には印象の良い挨拶を彼らにした。
ウインカーを出しながら、右折をすると苦笑い混じりに話を続ける。

「捜査上でも自殺の線が非常に薄く、すぐ殺人事件として捜査に乗り出したから
いいんですけど。」

その疲れたような溜息に、伊丹と芹沢は顔を見合わす。


「何か問題でもあったんですか?」


芹沢の問いには「あー」と曖昧な答えを返した。


「まあ・・・個人的なこと?ですかねぇー。現場に着いたら分かりますよ。たぶん。いや絶対」



「だから今回は現場出たくないっていったのにねー」と独り言を呟くに伊丹は怪訝そうに
眉間の皺を寄せた。チラリと芹沢を見やれば彼も不思議そうに首を傾げている。


やがて車はG大学へと滑るように入っていった。










リクエストしていただいた小説をやっと更新しはじめましたー!!
リクエストしてくださった内容にさらにいくつかの要素を盛り込んでいますが、
最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。
第一話は、姉のみでしかも名前が出てきません;すいません;