「うぇ・・・余計降ってきやがった」
三浦は傘を手に取りながら、苦々しく雲で厚く覆われた黒い空を睨みつけた。
+雨上がり+
夜食を買いにコンビニエンスストアへと出かけたものの、今夜は大雨だった
夏の暑さと降りしきる雨は膨大な湿気をもたらし、肌に纏わりつくべったりとした空気は
苛立ち気味の気分をさらに逆立て、不快感を与える。
それでも出歩くには大して支障はなかったので、三浦は半ば勢いで警視庁を飛び出してきたのだが、
夜食を買い付け、コンビニを出ると先ほどとは別の世界が広がっていた。
滝のように降り注ぐ雨は轟音を伴い、重力の法に従い地面を力任せに叩きつけ、その反動で雫を跳ね上がらせている。
傘立てに無造作に放りこまれた自分の傘に手を伸ばすが、おもむろにそれを躊躇し、空を仰ぎ見た。
降りが弱くなるまで待っていようか・・・そんな思考が脳裏を駆け巡るが、一秒にも満たないその考えは
今、三浦が追っている事件がそれを打ち消した。
一分でも早く戻って捜査ファイルを開きたい。小さな舌打ちを一つ吐き出すと、豪雨の中へと躍り出した。
もしかしたら・・・・ただこの場にいたくなかっただけなのかもしれない。思い出してしまうからだ・・・
足早に歩きながら、三浦はぼんやりと数歩先の地面を見つめていた。
あの日もこんな豪雨だったか。脇腹にずきりと走る痛みに三浦は思わず顔を顰めた。
「っい!・・浦っ!おい!!・・・ったく。少し休んでこいって」
「あ・・・・」
深みのある低い声がぼんやりとしていた意識へと入り込み、三浦ははっとして顔を上げた。
目の前には呆れた表情をして見下ろしている同僚の姿。
伊丹は三浦にコーヒーを差し出しながら、奥の仮眠室へと顎をしゃくってみせる。
いまだはっきりしない意識のまま受け取ると、ぼんやりと小さく波立つコーヒーの波紋を見つめた。
そんな三浦の姿にさらに小さい溜息を吐き出すと、伊丹は背後のデスクで突伏している物体を鋭く睨みつける。
「てめえは休んでんじゃねえよ!!こんのばか亀があ!!」
「ぐぇ」
鈍い音ともに情けない声が呻き、その黒い物体がごそりと動き出した。
「ってーなぁ!あにすんだよ、伊丹!!」
力任せに叩かれた後頭部を擦りながら、その物体ー亀山は安かな休息を罵声と激痛で邪魔され
怒り心頭で勢い良く立ち上がった。
しかもそれが伊丹によるものなら尚更だ。凄まじい形相で伊丹を睨みつけるが、目の前の伊丹は
涼しい顔で亀山の額にデコピンをかます。
「あでっ!」
「うっせ、喚くな、そして働け。
な?三浦休んでこいって、これ使ってるからよ」
「!これ?!、今俺のことこれって言ったか!!」
「あーうるせ、お前の他に誰がいる」
「っ〜〜〜〜!!!」
伊丹と亀山のやりとりに幾分気が紛れた様な気がした。
「頼む」と伊丹に小さく笑うと重たい腰を上げ、仮眠室へと足を向ける。
「おう、腹出して寝るなよ?冷えるからな」
「・・・・ガキ扱いすんじゃねえよ」
軽く睨みつけるように振り返れば、悪戯染みた笑顔が返ってくる。
そんな伊丹に軽く手をあげてみせると、三浦は再び踵を返した。
「・・・・あんにゃろう・・・顔面蒼白じゃねえか」
三浦の姿が見えなくなると同時に、舌打ちとともに吐き出された呟きは当然
三浦の耳に届くはずもなく無論、それは三浦の耳に届けるつもりも毛頭ない。
苦々しく三浦が出て行ったドアを見つめている伊丹の横で、ようやく目が冴えてきた亀山が
それに答えるように身を乗り出してきた。
「え?何?俺顔色悪い?」
「・・・・・・・バカが」
「んだと!」
仮眠室のベッドへと横になったものの、三浦の頭は先ほどよりも冴えてしまい、
何度も溜息まじりに、寝返りを打つ。
それに追い討ちをかけるように、脳の中を駆け巡る事件捜査の状況がさらに眠気を妨げていた。
抱える事件に優先順位など考えてはいない。だが、今回の事件だけは三浦の脳が神経が細胞の一つ一つが
過敏に反応していた。
それは一家の主が単身赴任の留守中に起きた事件だった。
妻と中学生の娘二人だけの夕食に強盗が押し入り、犯人と取っ組み合いになり母親が殺害され、
娘は命は助かったものの、腕に一ヶ月の怪我を負った。
長年刑事をやってきて、今回も今までと同じように捜査に向き合うはずだった。
しかし、今回は刑事である前に、一人の父親として三浦を事件に向き合わせたのである。
いくら目をきつく閉じても、眠気は一向に訪れそうにない。
深い溜息をゆっくりと吐き出しつつ、三浦は携帯電話を取り出した。
+はい、三浦ですー+
「あぁ、父さんだ」
+わーvvお父さんだー+
電話の向こうの愛娘の満面の笑みを思い浮かべながら、声もやや明るく上体を起こす。
+お仕事中なんでしょう?どうしたの?+
「んーお前の声が聞きたくなってな」
単身赴任でないにしろ、滅多に家に帰ることができない三浦にとって、今回の事件は
まさに人事ではなかった。もしこれが自分の妻だったら娘だったら・・・・そう思うと
いてもたってもいられなくなり、携帯電話を取り出す始末。
そして妻や娘も明るい声に心慰められ、また気を引き締めて事件と向き合っているのだ。
「・・・・・・じゃあな、週末には帰るよ」
+本当!?楽しみにしてるね、お父さん体だけは気をつけてね+
「ありがとう」
娘の後ろには妻がいるのだろう、娘の声と重なって「気をつけて」と鈴を転がしたような声が
三浦の鼓膜を心地よく振動させる。
通話終了ボタンを押すと同時に先ほどとは違う軽めの溜息を吐き出すと、ゆっくりと疲労にまみれた
体をベッドへと投げ出した。
捜査が進展したのはその二日後からだった、関西へ赴任していたはずの夫が事件当夜都内のビルで
目撃されていた事が判明。
夫の供述では事件当夜は関西にいたとあるが、れっきとしたアリバイはなく、また夫婦仲も険悪だったことから
捜査一課が夫をマークしていた矢先の情報だった。
またそれに便乗するかのように次々と湧き出てくる知人の証言や目撃情報に、伊丹と三浦は署への
同行を求め、上京して娘と二人で住んでいるアパートへと急行した。
それはどしゃ降りの気味の悪い夜だった。
呼び鈴を鳴らし出てきた娘の表情はどこかやつれた様に見え、三浦と伊丹を怪訝そうに顔を見合わせた。
「お父さんは?」と聞いた瞬間に、強張ったように肩をびくつかせ、小さく呟きながら
「いない」と首を振ってみせるが、様子がどうも変だ。
酷く怯えている、だが、三浦は自分を見上げてくる少女の目を鋭く読み取った。
タスケテ
三浦は小さく伊丹に耳打ちをすると、少女ではなく家の中へ響くように声をあげた。
「そうかい、じゃあまた明日こよう。ちゃんと戸締りするんだよ?」
少女の頭を撫でながらその震える肩を包み込むように抱き寄せると、スッと玄関へ入り
わざと音を立てドアを閉め鍵を閉める。
階段を下る音がドアの外から響き、三浦はシーッと人差し指を口にあて少女に玄関にいるように
目で合図をする。震えながら頷く少女ににっこり笑ってみせるとゆっくりと靴を脱ぎ、
部屋の中へと踏み入れた。
少女以外には誰もいないはずの室内には、明らかに人の気配がする。
床を軋ませないように慎重に足を運びながら、気配を感じる和室へと滑り込んだ。
背の低い家具が2つ置いてあるだけの、簡素な部屋。だが、間違いない。確かに誰かいる。
三浦は鋭く押入れへと視線を向けた。
引き戸のとってに手を掛けた次の瞬間、突然戸が開き、父親が三浦に飛び乗る形で飛び掛ってきたのだ。
右手にギラリと光るものを捉え、寸前の所で体制を整え間合いを取る。
男は狂ったように喚き声を上げながら、右手を振り回しジリジリと三浦に近づいてくる。
狭い室内で大暴れされたら取り押さえようにも難しい。どうにか落ち着かせようとするが
目が完全にイってしまっている。
「刑事さんっ」
「!ダメだ!嬢ちゃん逃げろ!!」
父親の叫び声と、本や置物が落ちる音で少女が玄関から飛び出してきた。
ちょうど父親の後ろから顔を出す形になり、思わず三浦の声が荒くなる。
ゆらりと男の体が回転し、そのおぞましい形相が少女へと向き直った。
獲物を見つけ喜びをあげるかのように、不気味な光を放つナイフをもった右腕が
振りかざされ、三浦の体に電気にも似た衝撃が走る。
次の瞬間、一体自分に何が起きたのかわからなかった。脇腹から全身に伝う激痛と少女の悲鳴が
絶妙に絡み合い、視線の先には不気味な笑みを称えた狂人が、息を荒くさせている。
やられたか
そう認識すると同時に、三浦の刑事という精神が目の前の狂人を床に叩きつけていた。
一気に遠のきそうになる意識を、必死に繋ぎ止め、異様な呻き声を上げもがく男を押さえつける。
乱暴に叩く玄関ドアの音と伊丹の声に、少女は目の前で起こったことからビクリと我に返り
慌てて玄関へと向かった。伊丹が飛び込んできたと同時に、ガチャリとはめられる手錠の音。
血まみれになった相棒の姿に思わず息を飲み込む。
呆然とする伊丹ににへらと薄笑いを浮かべると同時に、三浦は意識が遠のいていくのを感じた。
遠のいていく意識の向こうで、自分を呼ぶ伊丹の怒鳴り声と少女の救急車を呼ぶ声、
そして激しい雨の音が渦を巻いているのを感じた。
「あー帰ってきたきた。三浦先輩大丈夫でしたか?!うわっずぶ濡れっ!」
ハッと我に返り顔を上げると、いつの間にか警視庁の玄関ホールの目の前だった。
玄関入り口にはタオルを持った後輩の芹沢と、ズボンのポケットに手を突っ込んでいる伊丹の姿。
傘をさしていたとはいえ、地面を叩きつける豪雨には何の意味ももたなかったようだ。
気づけば、膝までびっしょりとズボンの色が変わっている。
タオルを受け取り、コンビニの袋を芹沢に渡す。背広についた水滴をふき取る隣で、ジーッと
伊丹が見つめていた。
「何だ?」
「脇腹」
「は?」
「・・・・・なんでもねえ。さー俺の夜食はと」
「?何だよ・・」
芹沢に渡したコンビニの袋を取り上げ漁りながら、一課へと歩き出す後姿を呆然と見つめる三浦に、
芹沢が不思議そうに伊丹を見つめながら三浦の横に立った。
「急に降り出したら、伊丹先輩急に落ち着かなくなったんですよ。
-嫌な雨だな-とか三浦先輩のことすっごい心配してて」
あの後、三浦が意識を取り戻したのは病院のベッドの上だった。
傍らには少女と伊丹の姿があり、少女は玉のような涙をボロボロと流しながら感謝と労わりの言葉を
続けた。少女が帰ったあと、静まり返る病室に響く同僚の声に三浦は僅かに目を見開き、
小さく笑ってみせたのだった。
「なんだ・・まだ気にしてたのか」
「え?なんすか?」
「ん?なんでもねえよ。戻ろうぜ」
「あっ待ってくださいよぉ!」
小さく笑う三浦に芹沢はさらに首を傾げた。伊丹の背中を追って足早に歩き出す三浦の後を
慌ててついていく。
エレベーターの前でパンを取り出している伊丹からパンと袋を取り上げ、
「歩きながら食うな戻ってからにしろ」と注意すれば、「ガキ扱いすんじゃねえよ」と苦々しく返された。
前にもあったような台詞だと思いながら、くつくつ笑う三浦に伊丹は怪訝そうに三浦を見据える。
「気持ちわりいな、なんだよ」
「別に。傷なんかそのうち消えちまうもんだしな」
「・・・・・おう・・・」
「も〜先輩待ってくださいよー!!」
「遅せえ、お前階段で行け」
「うわ、ひっでー!!先輩最近冷たいですよー!」
「あーうっせ!!ひっつくな!!」
今夜の徹夜も賑やかに過ぎていくだろう。
上に着いたら、家に電話してから夜食を食べよう。そう騒々しい言い合いを隣で聞きながら
三浦は静かにエレベーターのボタンを押した。
外はいつの間にか星空になっていた。それはまるで三浦の心情のように。
えー・・なんか三浦さんのお話を書いてみたかったのですよ。
最初はドリームでーとか思っていたのだけれど、書き出しているうちにこりゃノーマルだなと。
O谷氏の三浦像は妻子に逃げられたとありますが、私の中では職場ではあんな強面でも
家じゃ愛娘にメロメロ!!しかも娘と疑いません。
もっと事件についてや被害者の少女との交流も書きたかったんですけど、
おいらの文才のなさでは連載になりかねないので、えっらい飛ばしました;
実は相棒の中で一番、常識人の気がしますね三浦さんって。
執筆2005年8月20日